防護服に身を包み、雑草をかき分け進んだ先に古木があった。樹齢百年超。幹の太さは1メートル近く。四方に伸びた枝には直径2、3センチのナシの青い実が幾つもなっていた。もう何年も手入れがされていないというのに、生命力の強さに驚く▼東京電力福島第1原発で全域避難が続く福島県大熊町の「関本農園」。関本好一さん(83)の祖父が1913(大正2)年に開いた。一帯は水利が悪く、水稲が作れない荒れ地だった。現金収入を得るため選んだのがナシ栽培だったという▼果物はぜいたく品。作るのはまかりならん-。太平洋戦争末期、当局にナシの木を切るよう命じられた。親たちが幹だけを残したナシ畑に芋などを植えていたのを関本さんは覚えている。平和な時代が訪れ、自由に作付けができるようになった▼関本さんは自宅脇に直売所を開くなどして大半を農協を通さずに販売。キウイ栽培などにもいち早く挑戦した。経営が軌道に乗った後は息子に農園を任せていた。開園時に植えられた古木を「記念樹」として大切にしてきた▼原発事故前、町には約40軒のナシ農家があった。避難指示が続く町内ではいまだに栽培できず、避難先で営農を続けている農家もいないという。代々の汗が染み込んだナシ畑が復活する日は来るだろうか。(2018.7.30)