私は夫の人形ではない。妻、女である前に、人間でありたい。弁護士の妻ノラは結婚指輪を夫に返し、3人の子どもを残して家を出る。イプセンの戯曲『人形の家』である。1911年、日本の初演でノラを演じたのは新劇女優の松井須磨子だった▼女優と言えば、歌舞伎の女形と思われていた時代。上演は女性解放運動に大きな影響を与えた。須磨子は自伝で「ノラのような強い自覚がなければ、『人形の家』を壊して『人間の家』につくりかえることはできない」と作品への思いを語った▼トルストイ原作の『復活』でカチューシャ役が大当たりし、時代のスターになる。自身が歌った主題歌『カチューシャの唄』も空前の大ヒット。全国津々浦々、子どもからお年寄りまでが歌を口ずさんだ▼妻子のある演出家島村抱月と恋仲になり、スキャンダルに。病死した抱月の後を追って自殺。抱月と一緒に葬ってほしいとの遺言を残したが、かなわず、独り葬られた▼「私はただ私として生きていきたい」。自分に正直で、自由な生き方を貫いた須磨子。波乱に富んだ32年の生涯は小説や映画になり、今も多くの人を引き付ける。須磨子が没し、5日で100年。新劇や歌手、女性運動など、さまざまな歴史の扉を開けた大女優の業績をしのぶ機会にしたい。
(2019.1.5)