横手市増田町の中心部から20キロほど離れた山あいに狙半内(さるはんない)という集落がある。近くを流れる雄物川の支流ではイワナやヤマメが捕れたという。集落で生まれ育った少年が釣りを好きになるのに時間はかからなかった。餌の選び方やさおの使い方はマタギに教わった▼少年は後の漫画家矢口高雄さん。夢中になって魚を追う姿は、代表作『釣りキチ三平』の主人公・三平三平(みひらさんぺい)と重なる。「三平は僕そのもの」。そう述懐していた▼矢口さんが81年の生涯を終えた。ヘラブナ釣りや渓流釣り、フライフィッシングに磯釣り。自然に溶け込み、釣りの醍醐味(だいごみ)を伝える作品を機に、釣りに目覚めて、奥深い世界から抜け出せなくなった人は多いはずだ▼幼い頃から漫画家になることを夢見たが、高校卒業後、地元の銀行に就職。上京して夢をかなえたのは1970年、30歳と遅咲きだった。73年に『少年マガジン』で始まった『釣りキチ三平』の連載は10年続いた。テレビアニメにもなり、その後もライフワークとして描き続けた▼自然などをテーマにしたエッセーが教科書に掲載され、名誉館長を務めた横手市増田まんが美術館では原画の収蔵に尽力した。今頃はきっと、釣り糸を垂れながら、半世紀にも及んだ漫画家人生を静かに振り返っていることだろう。(2020.11.26)