今月も自然災害を扱った記事が多かった。台風21号、北海道地震と相次いだからだ。筆者は講演で出張による移動が多い。被災による交通機関への影響は弱り目だが、発見もある。
 北海道地震の翌週、青森県大間町を訪ねた。ビジネスホテルのテレビには北海道のテレビが映る。全国放送では伝えられない、被災者へ向けた細かな生活情報が放送されていて、現状を知ることができた。東日本大震災と、それ以降の被災地でのメディアが経験した教訓が生かされていると感じた。

 9月11日と12日は「東日本大震災7年半」の共通カットが設けられ、関連記事が豊富だった。行政面、生活面など多岐にわたり、硬軟両様の構成が見られた。震災から時を経て、記憶が薄れる中、多面的な検証や発見、主張が求められる。各部署のお手並み拝見だ。
 11日の写真特集「この町で一歩ずつ」は、震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町に住み続ける人たちの7年半を追っていた。
 1枚は、震災直後、辺りが暗い中、避難所で先頭に立ちボランティア活動をする女子高生。その女子高生が「憧れの職」理容師になり、笑顔で客の髪を調える鏡越しの写真が、その隣に並ぶ。2枚の写真が、まさに7年半の歳月を感じさせ、暗闇の先には明かりがあると勇気付けられた。
 この特集には、震災時に大槌町を取材した記者が関わっていたのであろう。紙面が、この町に対する愛着心に包まれていた。
 節目に、過去を振り返る記事は大切だ。当時の問題点を検証し、課題のその後を追うことは報道の使命の一つだと思う。自然災害が相次ぐ中で、忘れてしまいそうな記憶をよみがえらせてくれる。新聞を読まない人は、教訓を忘却への道へと歩ませてはいないか。

 新聞離れに対して「新聞はコンテンツが古い」という看過できぬ指摘がある。筆者も決まりを重んじ過ぎていると思うことがある。
 部署により担当紙面が分かれていて、時に関連ある記事がバラバラに載る。取材対象者の年齢を必ず記載することは、女性に嫌がられる。この欄は文字のみで図や写真は入れないとか、本文の文字の大きさが決まっていることなどもある。インターネットニュースの台頭は読み手側に立った読みやすさと、興味関心に合わせた記事の提供をとことん追求していることにある。今後、若手の記者の発想・発案も重用し、コンテンツを新しくする取り組みに期待したい。
 本稿が担当の最後になる。私は書斎に2011年3月12日から1年分の本紙を保管している。捨てられないのだ。7年半前の3月12日1面は「宮城震度7 大津波」。その日の午後、仙台市泉区役所に設けた臨時のラジオスタジオから、この紙面を音声にし伝えた。
 ストックした新聞から「開通」や「開業」など、再び震災前の状況に戻った記事を見ると、いまだに笑顔になれる。しかし、まだ途上にある人は少なくない。今後も講演活動を通じて全国へも語り継ぎ、復興を後押ししていきたい。