6月1日、2020年東京五輪・パラリンピック聖火リレーのルートが発表された。聖火が巡る風景が全国そして世界に発信されることによって、東日本大震災からの復興具合を知ってもらえる貴重な機会になることだろう。

 被災者に寄り添うことを基本とする本紙は、2日朝刊社会面で「ルートに岩手、宮城、福島 復興五輪期待裏腹 世界に町をアピール 進まぬ地域再生焦りも」などの記事を通じて、必ずしも歓迎一色ではないことを伝えている。今秋開催のラグビーワールドカップ、東京五輪・パラリンピックは、どうしても祝祭性が強調されるが、被災者を意識している点は評価できるだろう。

 東京五輪が迫るということは、東日本大震災からの復興政策が終わりに近づいていることでもある。未来に向けた前向きな記事が多い中、復興の終わりを示唆する記事や復興のたたみ方の難しさを考えさせられる記事が増えてきた印象を受けた。

 個人的には、5月31日朝刊社会面の「被災者ケアお疲れさま 石巻・開成仮診療所 7年の活動に幕」が最も心に残った記事であった。調査等で石巻市で最大規模の仮設住宅団地と言われた開成地区に何度も通った私としては、診療所の閉所は復興政策が終わりつつあることを象徴する記事だったように思う。長純一先生の尽力に敬意を表したい。

 寄付文化が定着していない日本では、被災者支援の原資は税に頼らざるを得ない。復興を進めるに当たり、マスコミは少数者の声をくみ取る一方、多数の支持を取り付ける役割も担わなければならない。私が宮城県や福島県で行った意識調査では、「私は被災者である」と主観的に思っている有権者は減る傾向にある。生活再建を果たし「私はもう被災者ではない」という者が増えているからであり、県民の震災記憶が風化していることや震災を経験していない有権者が増えているからである。

 復興政策が終わりに近づくにつれ、被災者と非被災者のはざまで意思決定に苦慮する自治体が増えている。被災者としては生活再建のため支援を継続してもらいたいが、非被災者の中からは時間の経過とともに「いつまで支援をすべきか」という意見が広がりつつある。税には限りがある。国からの財政支援が減れば、自治体は支援策の規模を縮小するか、政策を打ち切らなければならない。

 5月13日朝刊1面「自主避難者『行き場ない』都内の国家公務員宿舎退去期限 福島県、支援打ち切り 家賃は2倍に」や、6月4日朝刊社会面「旧門脇小 石巻市、部分保存費用計上へ」などの記事は、そうした状況が既にあることを示唆する。

 今後本紙は、被災者に寄り添う記事を伝える一方で、なぜ政治が被災者心情と距離がある意思決定をしているのか、丹念に検証した記事の発信も求められよう。被災地に住む被災者と非被災者が共に歩める環境づくりに、今まで以上に尽力する必要があると考える。

[かわむら・かずのり氏]1971年、静岡県焼津市生まれ。慶応大大学院博士課程単位取得。慶応大専任講師(有期)、金沢大助教授を経て、現職。専攻は政治学。近著に「被災地選挙の諸相 現職落選ドミノの衝撃から2016年参議院選挙まで」(共著)など。仙台市若林区在住。