「働く人の立場、視点に立って議論を進める」。働き方改革について、誰あろう、安倍晋三首相自らが強調してきたスタンスである。今こそ、その原点に立ち返って議論し対処すべき時ではないか。
 働き方改革関連法案に盛り込まれる裁量労働制の適用拡大を巡り、首相の答弁撤回があったにもかかわらず、失態が相次ぐ不適切データ処理問題のことである。
 事態を受け、政府は施行時期を1年延長する方向で検討しているという。だが、そんな小手先の対応では収拾できないほど、問題は重大化、深刻化していると言わざるを得ない。二つのことを指摘しておかなければならない。
 一つは「裁量制の拡大がなぜ必要か」との問いに、政府はもはや説得力ある答えができなくなっていることだ。
 裁量制は、あらかじめ決めた時間、賃金で働いたとみなす仕組みで、残業代は「定額」。政府は働き方や労働時間を自ら決められるとメリットを挙げてきたものの、野党・労働組合は「定額働かせ放題になる」と批判してきた。
 それに対する反論の根拠となったのが、一般労働者より裁量制の人の労働時間の方が短いとする不適切処理でつくられたデータだ。だが問題発覚で、この根拠は失われた。
 その一方で、裁量制で働き過労死や未遂を含む過労自殺で労災認定された人がこの6年間で13人もいる。そんな現実がクローズアップされる。
 「働く人の立場に立つ」と言うなら、その命と健康を守ることが第一であろう。裁量制の労働実態について改めてきちんと調査するべきだ。その調査結果を踏まえ議論を仕切り直すのが筋ではないか。
 もう一つは、これが働く人の命と生活を守る役所のすることか、と厚生労働省に対し不信が増幅していることだ。
 問題発覚後も、新たな不適切データが続々と判明し、加藤勝信厚労相が「なくなった」とした調査原票が厚労省地下室で見つかる体たらくだ。
 そもそもなぜ、一般労働者と裁量制の人の労働時間について異なる条件で調べた数値を比較し、誤ったデータとしたのか。担当職員の単なるミスなのか、それとも何らかの意図が働いていたのか。
 この不適切処理は、裁量制で長時間労働を強いられている人にとっては厚労省の背信行為に等しい。その原因を究明せぬまま、裁量制拡大の議論を進めることはできない。
 裁量制拡大は、一部専門職を労働時間規制から外す高度プロフェッショナル制と共に経済界が求めてきた労働規制緩和策で、その法案は2年以上も棚上げされてきた。残業時間の上限規制などと抱き合わせで関連法案に盛り込まれ息を吹き返した経緯がある。
 だが、この二つの制度は長時間労働の是正を旨とした働き方改革とは、やはり異質と言うほかない。関連法案から撤回し、再考するべきだ。