夫の精子で妊娠できない夫婦を対象に匿名の第三者の精子提供を受けて実施する人工授精(AID)のあり方が見直しを迫られている。戦後間もない1948年からAIDを行ってきた中心的存在の慶応大病院が、提供者の減少を理由に新規患者の予約受け付けを停止している。
 日本産科婦人科学会のまとめでは、2016年には国内12施設で約3800件のAIDが行われ、約半数を同大病院が占める。全国の妊娠数は141件、出生児は99人だった。AIDで出生した子は累計で1万~2万人に上るとされるが、正確な数は分かっていない。
 89年に国連総会で批准された子どもの権利条約は「子はできる限りその父母を知り、かつ父母によって養育される権利を有する」と規定する。慶大では、こうした子の出自を知る権利を認める動きが広がり、将来的な情報開示の可能性を精子提供者に告知するようにしたところ、その数が激減。新たな提供は見込めないのが現状だ。
 AID児の多くは事実を知らされず、戸籍通りに実の父子であると疑わずに成長してきた。しかし、何かのきっかけで父親が遺伝上の父ではないと分かった場合、血のつながった父を知りたいと思うのは自然な希求だ。
 ところが、AIDで生まれた男性が2014年に慶応大病院に情報開示を求めた際には、記録が残っておらず、確認できなかった。同じ苦悩を抱えかねない人は、身近にもいるかもしれない。
 民法が想定していなかった形の父子関係であり、早くから子の法的保護の必要性が指摘されてきた。離婚した元夫婦がAIDで生まれた子の親権を争った裁判では、精子提供に夫の同意があれば夫の子であると判断した。一方、同意がなければ、夫の嫡出否認が認められる。では、子の父は誰なのか。
 これまでにも法制化の動きがありながら、いまだに現状に対応するルールすらない。第三者の卵子や代理母、さらには子宮移植による妊娠、出産、提供精子や卵子による体外受精、あるいは凍結精子・卵子・受精卵の保存と、突き進む生殖技術から、どんどん立ち遅れてしまっている。
 法制審議会では03年に「夫を子の父とする」という民法の特例要綱の中間試案をまとめたが、その後は進んでいない。16年には自民党部会が同様の内容を含む特例法案を了承したが、国会には提出されないままだ。
 法務省の有識者研究会が10月に発足し、嫡出推定に関する民法の見直しを視野に、生殖補助医療を巡る親子関係の議論を再開する。生命倫理の論議も必要だが、生まれた生命を否定することはできない。優先されるべきは、どのように生まれるかを選べない子どもの権利だ。立法府の怠慢は許されない。