石原慎太郎氏がメガロポリス東京の知事に就任したとき、真っ先に訪ねたのは、住民800人足らずの山梨県小菅村だった。
 多摩川の源流に位置する村に都は広大な水源林を所有している。過疎の村の協力なくして1400万都民に供給する飲料水の安全は守れないと、石原氏は知っていた。
 日本の総人口は、2015年の1億2709万人をピークに右肩下がりの曲線を描き始めた。人口減少問題である。国立社会保障・人口問題研究所の最新推計によると、1億人割れは、当初想定よりやや遅れて53年前後という。
 人口と国力を単純に同一視し、とりわけ1億人を国力維持の防衛線と見る向きも一部にはあるようだ。しかし、いかに策を講じても1億人割れは避けられ得ない。いつまでも質と量、成長と肥大を混同していては、直面する課題の解を見誤ってしまう。
 日本の人口が1億人を突破したのは、高度経済成長期ただ中の1966年だった。直近50年の出来事にすぎない人口激増の時代に、私たちは幸せだっただろうか。
 都市の住宅事情は「ウサギ小屋」で、「通勤地獄」「受験競争」なる言葉が生まれた。2、3次産業に従事する労働力を農山漁村の次三男に求めた結果、都市の過密は加速し、地方の過疎を招いた。
 この論に立てば、人口減少によって一人一人への配分資源は増え、個々が尊重される社会が到来すると、これからの時代を前向きに捉えることもできよう。
 真に問題なのは人口減少ではなく、これに起因する人口構成の激変であり、生産年齢人口の先細りだろう。
 先の国会では、人手不足を海外からの労働力で穴埋めしようと改正入管難民法が成立した。産業界の要請に成長戦略を描く政権が応えた格好だが、ここにも質と量、成長と肥大の混同が見て取れる。
 外国人労働者を見込む職種は、農業、介護など多くがマンパワーに依存する産業だ。だが、科学大国を自任するのであれば、補助機器やロボットの開発、ITを駆使して労働現場を変革する道もある。
 急場しのぎの対処は、かえって技術革新の芽を摘んでしまうことにならないか。
 外国人材の受け入れ拡大を政府は、地方への配慮と強調するが、個々の地域で続く労働力創出の取り組みは見えていないようだ。
 住民3300人の秋田県藤里町では、引きこもりを地域の力にしようという実践が着実に成果を上げている。数年前に100人以上だった生産年齢人口の引きこもりが今では20人前後に減り、多くが地元企業で就労を果たした。「福祉のまちづくり」ならぬ「福祉でまちづくり」だ。
 いたずらに人口減少で危機感をあおるのではなく、地域社会が内在する力を引き出す努力が求められている。