東日本大震災の津波で、石巻市大川小は全校児童108人中、70人が死亡し、今も4人の行方が分からない。不明児童4人のうち、2年生だった女子児童=当時(8)=の父親が昨年夏に他界した。63歳だった。津波は妻=当時(46)=も奪った。空き家となった男性宅には親子3人の遺影が並んでいる。(大川小事故取材班)

 7年前の3月11日、男性は一人娘を引き取るため、妻と車で大川小に向かった。時間帯は不明だが、校庭では児童と教職員が待機を続けていた。
 男性は妻と娘を校庭に残して自宅に戻った。親戚の男性(73)によると、娘が「もう少し遊んでる」とせがんだため、置いてきたという。男性が校庭を去った後、巨大津波が大川小を襲った。
 大川小から約1.5キロ山側の入釜谷地区にある男性宅は無事だった。津波襲来後、親戚が「学校さ迎えに行かなかったのか」と聞くと、男性は「行がねえんだ(行かなかった)」と言葉を濁した。停電で暗闇となった集落で、男性は妻子が帰ってくるはずの道を車のヘッドライトで夜通し照らし続けた。
 地震直後、男性が大川小を訪れていたことを周囲に明かしたのは、しばらくたってからのことだ。
 大川小周辺では翌12日以降、児童らの遺体が次々と見つかった。ある日、女の子の遺体があった。損傷が激しい。体に貼られたガムテープに娘の名前があった。発見者が特徴から推測して書いたようだ。
 「これ、おめえんとこの娘だべっちゃ」。声を掛けられた男性は「何か違う。おらいの娘でねえみてえだ。髪の毛が違う」と話した。妻は遺体で発見されたが、娘だけが見つからないまま時が過ぎた。
 男性は建築関係の仕事をしながら娘を捜し続けた。親戚の男性は「随分頑張って捜しに行ってた。余計なことは話さなかった」と振り返る。周囲との交流は少なかったが、別の児童遺族が捜索状況を電話で伝えると、男性は真剣に聞いていたという。
 男性は昨年春、自宅で倒れ、石巻市内の病院に入院した。介護施設への入所を控えていた8月22日、息を引き取った。40代後半になって授かった一人娘を大変かわいがっていたという。
 近くの親戚の案内で男性宅を訪れると、主を失った家はひときわ底冷えがした。娘の成長記録が黒いフェルトペンで柱に記されていた。