東京電力福島第1原発事故の避難指示解除から2年が経過した福島県浪江、富岡両町は、今も9割以上の住民が町外で暮らす。原発が立地する大熊、双葉を含む4町にかつて浮上した「町外コミュニティー構想」=?=は、双葉を除いて立ち消えになった。避難先で整備を模索した浪江町民は「実現していれば住民の離散を防げた」と嘆く。

 第1原発から北西約50キロに位置する二本松市の災害公営住宅石倉団地。約200世帯が住む敷地の南側に、浪江町民が営む3店舗がひっそりと立つ。「商店街をつくるのが理想だったのだが」。時計店の原田雄一さん(70)は唇をかむ。
 原発事故後、町は二本松と南相馬、いわきの3市で町外コミュニティーの形成を検討した。2012年9月、受け入れについて協議の場が設けられたが調整は難航。住民の帰還を優先させたい国や県の消極姿勢、避難区域の再編などが複雑に絡み合い、計画は宙に浮いた。
 町の商工会長だった原田さんは、避難先で再建見通しが立たない商店主らを回って歩いた。地域の商圏に支えられてきた小売業などは特に厳しい。「コミュニティーの再構築が必要だ」との声を受け、民間主導で拠点づくりに動きだした。
 14年、福島市で休耕地に宅地を造成する計画が浮上した。市幹部は「『浪江区』をつくってもいい」と賛同したが、農地転用が進まずに頓挫した。17年11月にようやく二本松で共同店舗の開設にこぎ着けた。
 町は同年3月策定の第2次復興計画で「町外コミュニティー」の文字を削除し、推進姿勢を見直した。当時の町幹部は「帰還の見通しが立たない時期に一時的な拠点を求めたのは事実。解除されたら戻るのが本来の姿だ」と明かす。
 町民は3月末現在、45都道府県、県内の47市町村に分散して避難を続ける。「町民の拠点があれば一緒に帰ろうとの意欲も湧いたはずだ」。原田さんは指摘した上で、「行政は帰還を『錦の御旗』にした。町の存続とは一体何を指すのか」と対応を疑問視する。
 双葉町は4町で唯一、町外拠点を18年4月に整備した。仮役場を構えるいわき市に災害公営住宅の勿来酒井団地が完成し、商業施設や診療所、サポートセンターを一体的に配置した。
 数キロ先には町の社会福祉法人が運営する特別養護老人ホームや町立の幼小中学校も開設され、バスが巡回する。町の大浦富男復興推進課長は「理想は帰還だが、避難生活の長期化で町外に根付いた町民のサポートも欠かせないと判断した」と背景を説明する。

[町外コミュニティー構想] 避難先の自治体に災害公営住宅と行政や医療、教育などの拠点を整備し、一時的に集団移住する計画。11年12月、当時の双葉町長が「高線量で長期間帰れない。『仮の町』を求めたい」との意向を示し、大熊、浪江、富岡3町でも実現への議論が交わされた。