新型コロナウイルスの感染拡大を受け、7月開幕予定だった東京五輪・パラリンピックの1年程度の延期が決まった。20日に聖火を迎え入れたばかりの石巻、東松島両市は聖火リレーやホストタウンの受け入れ準備も進めており、仕切り直しを迫られた。石巻地方のスポーツ関係者や聖火ランナーは決定を冷静に受け止め、来年に期待をつないだ。

 聖火の国内最初の到着地となった東松島市は25日、市内の公共施設に掲示していた聖火リレー実施日へのカウントダウンボードを撤去した。担当者は「ボードのデザインや準備計画を練り直さなければならない。課題は多い」とこぼした。

 石巻市はチュニジアを相手国に「復興『ありがとう』ホストタウン」に登録し、選手の事前キャンプを計画していた。延期に伴い、チュニジア大使館と相談しながら今後の対応を検討するという。

 カヌー競技で五輪出場を目指していた石巻市出身の永沼崚選手(25)=ユアテック=は24日夜、テレビで延期の決定を知った。五輪出場の懸かったアジア予選(4月・タイ)が中止になっていたこともあり、驚きはなかったという。永沼選手は「来年の五輪と選考大会の日程が早く決まってほしい。この1年でもっと強くなりたい」と前を向いた。

 カヌー競技で審判を務める予定だった石巻商高の佐藤幸也教諭(56)は「延期は残念だが、1年後に各選手がコンディションを整えて頑張ってくれることを期待する」と語った。

 26日に福島県からスタートする予定だった聖火リレーも中止となった。大会組織委は新たな大会日程に合わせてリレーをスタートする際、現在決定しているランナーが優先的に走れることを検討している。

 出身地の東松島市でランナーを務める予定だった東京福祉大1年の武山ひかるさん(19)は25日、組織委から延期の通知を受け取った。「東日本大震災からの復興の様子や支援への感謝を伝えられるチャンスだという気持ちは変わらない。新しい日程と再スタートを待ちたい」と語った。

 視覚障害があり、パートナーの盲導犬と一緒に市内を走る予定だった石巻市桃生町の若山崇さん(50)は「不安な状況の中で開催しても楽しめないので、延期になり安心した。健康管理を徹底して走る機会を待ちたい」と話した。

<安全な環境で>

 東京五輪延期の決定から一夜明けた25日、石巻地方の関係者や市民からは落胆の声が相次いだ一方、新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大する中での判断には理解が広がった。東日本大震災の最大被災地は、安全な環境での「復興五輪」実現を願った。

 20日に五輪の聖火が「復興の火」として展示された石巻市の亀山紘市長は「感染が全世界に広がる中での開催は無理があると思っていた。延期は残念だが、やむを得ない」と話した。

 東松島市の渥美巌市長は「延期とはいえ復興五輪は不動のテーマ。被災地の姿を発信し続ける考えに変わりはない」と語った。デンマークを相手にしたホストタウン事業の継続や、20日のスポーツ健康都市宣言を踏まえた全国規模の大会誘致に力を入れ、五輪の開催機運を再燃させたい考えだ。

 1964年東京五輪の聖火台誘致を実現させたNPO法人石巻市スポーツ協会の伊藤和男会長(73)は「延期が聖火リレーのスタート前に決まってよかった。選手や主催者は準備期間が長くなったと前向きに捉えてほしい」と期待した。

 熱戦を期待していた市民からは落胆の声が上がった。

 前回の東京五輪が開かれた64年10月に生まれた東松島市大曲の団体職員鎌田純子さん(55)は「聖火到着で市民の期待感が一気に高まっただけに残念だ」と悔しがった。

 陸上競技の観戦チケットが当選していた石巻市スポーツ協会の千葉淳事務局次長(63)は「女子100メートルハードルの決勝などを楽しみにしていた。チケットの取り扱いがどうなるのかが気になる。延期されても有効になってほしい」と話した。

 五輪は世界から集まる観戦客を被災地に呼び込み、復興の現状を発信する機会としても期待される。

 石巻市鹿又のタクシー運転手三浦克之さん(62)は「延期は仕方ないが、経済への影響などが心配。新型コロナを終息させ、一日でも早く開催してほしい」と語った。

 同市牡鹿地区の観光物産交流施設「cottu(こっつ)」で食堂「プラザサイトー」を営む斎藤公一さん(55)は「安全な状態で開催される方がいい。1年後は牡鹿の復興ももっと進んでいる。多くの人に足を運んでほしい」と願った。