東日本大震災や東京電力福島第1原発事故の被災地に、首都圏や仙台など都市部から気概に富む人々がUターンしている。「復興の力になりたい」「傷ついた古里の行く末を見守りたい」。生まれ育った景色は失われても、古里への思いは消えない。

◎復興Uターン(3)気仙沼市 まちづくり会社マネージャー 千葉裕樹さん

 居酒屋やスナックが軒を連ね、腕っ節の強い漁船員が闊歩(かっぽ)した気仙沼市の内湾地区。東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けたかつての繁華街に今年10月、まちづくり会社「気仙沼地域開発」が整備する三つの商業施設が全てそろう。
 そのうちの一つ「気仙沼スローストリート(仮称)」の地鎮祭が8日、現地であった。同社の事業推進チーム統括マネージャー千葉裕樹さん(40)=気仙沼市=は出席者と歓談しながら「もうひと踏ん張りだ」と自らに言い聞かせていた。

<「運命を感じた」>
 大手広告代理店の浜松支社に勤務していた時、震災があった。気仙沼市から宮城県南三陸町に移り住んだ両親の元に車で駆け付けたのは、3月13日朝。
 「まるで戦場だった」。見渡す限りのがれき。遺体や布団が引っ掛かった電柱。両親は無事だったが、自宅は跡形もなくなった。
 「生まれ故郷の気仙沼のために働く」と決意し、2012年春に退職した。震災直後の古里に思ったような働き口はない。フリーの広告ディレクターとして大手菓子会社などの仕事をしながら、東京でチャンスを待った。
 転機は15年の冬。中学の後輩の結婚式で帰郷し、久しぶりに内湾地区を歩いた。中学時代に制服を装飾する裏ボタン、高校時代にポケベルを買った場所だ。
 かつての「憧れの場所」には壊れた建物が残り、空き地が広がっていた。「5年たつのに、どうなってるんだよ」。衝撃を受けた。
 戻った東京でパソコンを開くと未開封のメールが目に留まった。地域開発からの求人だ。内湾地区の復興に協力を仰ぐ内容に「運命を感じた」。締め切りは過ぎていたが、古里への熱い思いを書き込み、16年5月の採用が決まった。

<店主と信頼築く
 新潟県出身の妻ゆかりさん(38)の親は津波や原発事故を心配し、Uターンに反対した。黙って入社し、後で謝った。
 専属社員は1人。新たに建てる三つの商業施設の出店者探しを任された。休みはなく、収入は東京時代の6割に減った。
 高校以来の古里。仮設商店街を回ると、怪しい不動産屋に間違われた。「さっさと帰れ」。塩をまかれて追い出されたこともあった。
 客として訪れ、店主たちと腹を割って話し合った。多い時は1日7食も食べ、90キロ台だった体重は一気に110キロまで増えた。
 昨年11月、ようやく一つ目の施設「迎(ムカエル)」をオープンすることができた。開店時期は何度か遅れたものの、信頼を築いた店主たちは付いてきてくれた。
 昨夏に市内で中学校の同窓会があった。「迎」の話題に触れると、「ありがとう」と地元の仲間に感謝された。首都圏に家を建てた友人には、酒に酔って少し絡んだ。
 「気仙沼は、これからもっといい街になる。こっちに家を建てなかったことを後悔させてやるからな」
 「気仙沼には何もない」と言われると最近腹が立つ。「俺も、すっかり気仙沼の人になったんだな」と、ふと思う。
 気仙沼の再興に人生を懸ける。覚悟はできている。