東日本大震災の津波で多くの職員が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎は、解体開始から19日で1年がたった。既に津波の爪痕を深く刻んだ建物は跡形もなく、防災用空き地へと様変わりした現地を訪れる人影は少ない。町民を二分した旧庁舎存廃論争とは何だったのか。町内で震災の風化を懸念する声を拾い集めた。
(釜石支局・中島剛)

 「解体したことは間違いではない。でも、庁舎が消えて風化が一気に進んだ。あれだけ議論したのに、解体して終わりという今の雰囲気に納得がいかない」。会社員倉堀康さん(36)が複雑な感情を吐露した。

 町職員の兄健さん=当時(30)=は庁舎にとどまって津波の犠牲になった。肉親を失った悲しみと職員を高台へ避難させなかった町の判断に対する怒りがこもる建物の解体を一貫して望んできた。

 しかし、庁舎で職員ら40人が犠牲になった事実は後世に伝え残す必要があるとも考えている。「現地に説明板一つないのもおかしい。なぜ解体したのか、今後どうするのか、今こそ町民で議論すべきだ」と主張する。

 実際、倉堀さんは旧庁舎解体後、震災伝承活動に一層力を入れるようになったという。「旧庁舎があれば何もしなくても教訓は伝わった。解体を求めた者として伝える責任を果たしたい」と自らに言い聞かせる。

 旧庁舎を巡っては最後まで町民間の意見が対立。解体費用を盛り込んだ町の予算案は、議会の採決が可否同数となり、議長裁決に持ち込まれる事態となった。

 解体を選挙公約に掲げ、復興まちづくりを指揮する平野公三町長は、この1年の町の変化について「良い悪いという評価ではない」と前置きした上で、議会で旧庁舎問題が議論されなくなったと感じている。

 「震災以降、旧庁舎(の存廃)は大きなテーマで、議会でのやりとりのかなりの部分を占めてきた。本来、町の課題は生活、産業、教育といっぱいある。議論が町政全体に広がり、深まってきた」と解体を前向きに捉える。

 平野町長とは対照的に「大槌の教訓を世界に発信する起点がなくなってしまった」と嘆くのは元町職員佐々木健さん(62)だ。震災検証の徹底を求めて解体に反対した「おおづちの未来と命を考える会」の事務局長だった。

 「町長は『忘れない、伝える、備える』と言うが、この1年間で何を実践したのか。多数が犠牲になった責任の在りかについて検証は全く進んでいない」と憤る。

 庁舎解体後、考える会は活動を休止した。「議論の核が失われた。今、町外から庁舎跡を訪れる人はほとんどいない。伝承の在り方を相当工夫しないと忘却は止められない」。佐々木さんの憂慮は深まるばかりだ。