宮城県南三陸町の南三陸ホテル観洋の渉外部長伊藤文夫さん(77)が、1960年のチリ地震津波、東日本大震災の経験を伝え続けている。チリ地震津波の襲来から24日で60年。ホテルが運行する「語り部バス」のガイドを務めながら「過去の津波にとらわれてはいけない」と二つの災害を踏まえ警鐘を鳴らす。(南三陸支局・佐々木智也)

 60年5月23日午前4時すぎ(日本時間)、南米チリ沖で観測史上最大とされるマグニチュード(M)9.5の超巨大地震が発生。翌24日未明、旧志津川町(南三陸町)を遡上(そじょう)高約5メートルの津波が襲い、県内最多の41人が犠牲になった。

 「地震が起きたら津波が来る。でも、あの日は揺れを感じなかった」。伊藤さんは、語り部バスのガイドでチリ地震津波についても必ず触れる。

 自宅は海から約1キロ離れた同町戸倉の西戸集落にあった。明け方、けたたましいサイレンの音で目が覚めた。母から津波発生を知らせる放送だと聞き、「地震が起きていないのになぜ」と思った。

 自転車を飛ばし、近くの折立川河口に向かった。津波が勢いよく川をさかのぼり、道路が冠水した。はるかかなたから太平洋を高速で横断した「遠地津波」だ。げたを手に持ち、はだしで近くの裏山に駆け上がり、一命を取り留めた。

 チリ地震津波で幸い集落に大きな被害はなかった。ただ、この記憶が東日本大震災で住民に油断をもたらした。伊藤さんは「チリ地震を超える津波はないと思っていた」と振り返る。

 約80世帯が暮らしていた集落は、震災で約18メートルの高さまで津波にのまれ、49人が死亡・行方不明に。いったん高台に避難したものの、自宅に位牌(いはい)を取りに戻った親友も犠牲になった。

 伊藤さんは「チリ地震津波で無事だった経験が逆に作用したのではないか。本当に悔しい」と語る。

 語り部活動に役立てるため、2年前に防災士の資格を取った。「津波はいつも同じパターンで来るわけでない。命を守るため、日頃の備えを大切にしてほしい」。災害の犠牲者を一人でも減らすため、二つの津波をこれからも語り継ぐつもりだ。