◎伝え、備え 報いる 犠牲繰り返さない

 記録する。伝える。備える。東日本大震災で直面した一人一人の生と死を胸に刻み、教訓をあしたの災害に生かす。

 宮城県石巻市の市雄勝病院は、太平洋に続く入り江にある。患者のほとんどが地元のお年寄りという小さな公立病院だった。

 2011年3月11日、病院は高さ10メートルの屋上を超える津波に襲われた。入院患者40人全員と、病院にいた職員30人のうち24人が犠牲になった。

 当時、病院の事務職員だった遠藤祥克さん(47)は、患者1人を同僚と屋上に運び上げた後、津波に巻き込まれた。

 「多くの人が亡くなり、自分は助かった。『何で見捨てたんだ』と言われるんじゃないかと思うと、苦しくなる」

 現在の職場で取材に応じた。患者や同僚の言葉、なすすべもなく水にのまれた瞬間。つらい記憶をたどり、病院内の様子を言葉にした。

 福島県相馬市尾浜で民宿のおかみだった五十嵐ひで子さん(64)は避難が遅れ、民宿の前で津波にのまれた。自分は助かったが、一緒にいた夫、叔父は亡くなった。喪失感と恐怖にさいなまれた。

 昨年9月、知人から語り部に誘われた。体験と避難の大切さを話せば、犠牲者に報いることができる。立ち直るきっかけにもしたかった。

 亡き家族を思い、言葉に詰まるときがある。悲しみは深いが「私の体験を、自分に置き換えて考えてほしい」と願う。

 宮城県山元町花釜地区は、大津波で145人が犠牲になった。現在、約250世帯が暮らす。お年寄りの世帯が目立つ。

 菊地慎一郎さん(65)は、復興ボランティア組織の一員だ。昨年12月7日、宮城県沿岸部に津波警報が出た。近所のお年寄りを妻の車で避難させ、自分も車で高台に向かった。延々と連なるブレーキランプを見て、自然災害には終わりがないと気付かされた。

 「今、大きな被害が出たら復興どころではなくなる」。ことし、お年寄りの支援や車利用など、避難ルールづくりに乗り出す。

◎「わがこと」として

 東日本大震災の死者・行方不明者は1万8591人。2303人の震災関連死を含めると2万人を超える。亡くなった人の無念、家族を失った人の苦悩をくみ取る。犠牲者を出さない方法を考え、発信する。それは被災地に生きる私たち、一人一人の使命なのではないだろうか。

 河北新報社は、震災から3年目のことしを「防災元年」と位置付け、「いのちと地域を守る」キャンペーンを展開する。震災の教訓を探る連載「わがこと」と、住民に備えを促す巡回ワークショップ「むすび塾」が柱。多くの犠牲を出した痛みを読者と共にしながら防災、減災を考え直す。

 「わがこと」は3日から始める。備えの意識は、災害をひとごとではなく「わがこと」として捉えることで養われる。自然の猛威と人々の行動を知るため、被災現場を訪ね、証言を記録する。

 昨年5月から9回を数える「むすび塾」は引き続き、住民と一緒に地震、津波対策を考える。

 詳報を「防災・減災のページ」に掲載し、避難の手法などを示しながら、行動を後押しする。

 南海トラフの巨大地震による死者は、最大32万人と想定される。連載やワークショップを通じ、東北以外の地域にも警鐘を鳴らしたい。

◎家族の無事早く… つくろう避難ルール

 再び大災害が起きたら、わが家は大丈夫? 宮城県岩沼市の佐藤清美さん(40)は「あの日」のことを思い起こす。一時、家族が離れ離れになり、安否を確かめるまで不安だった。河北新報社が主催する防災巡回ワークショップ「むすび塾」は昨年12月27日、番外編として佐藤さん宅を訪ねた。木村拓郎減災・復興支援機構理事長を交えた家族会議で確かめたのは、集合場所、連絡先を決めて一人一人が速やかに行動する避難ルールだ。

 清美さんは玉浦小6年の長男龍君(12)、5年の長女青空(せいら)さん(11)、6年前に亡くなった夫の父房男さん(69)、母ひさよさん(63)、義理の弟(38)の6人暮らし。

 海から約2キロ離れた自宅は震災の津波を免れたが、周辺は1メートルほど浸水した。

 清美さんは日中、同県名取市内のコンビニ店に勤め、ひさよさんも仕事を持つ。「子どもの登下校中や、自宅に子どもとおじいちゃんしかいない時が心配だ」と清美さん。居間で地図を広げた。

 昨年12月7日夕の余震と津波警報で、清美さんの不安は増した。「職場を車で出た後で地震が起こり、裏道も渋滞。電話やメールも通じなかった」

 ひさよさんは孫2人、夫と自宅にいた。「(清美さんを)置いて避難するわけにいかず、おろおろした」と振り返る。清美さんが帰宅した時、津波の到達予想時間は過ぎていた。

 木村理事長は「津波の時は、家族ばらばらでもすぐ内陸部に避難し、その後、決めておいた場所で合流すればいい」と助言し、持参したシート「みんなの避難ルール」の活用を提案した。

 家族は合流地点を岩沼市民会館と書き込んだ。「3.11」が起きた日、清美さんと子どもたちが、祖父母と翌日に再会するまで一泊した場所だ。

 非常時の連絡先には、清美さんやひさよさんの携帯電話の番号を記した。つながりにくい場合を想定し、木村さんは遠くの親戚を中継点に連絡を取る方法を勧める。

 子どもたちは震災後、玉浦小まで約3キロの通学路を自転車で集団登校している。「避難の時は低学年の子を誘導したい」と龍君。避難場所にスーパーが挙がると、青空さんは「上から物が落ちてくるから危ない」と話した。真剣に話す2人の姿に、清美さんは震災後の成長を感じ取る。

 「川の水が引かなければ津波は来ない。じいちゃんは家にいる」と房男さん。「違う場合もあるよ」という家族とのやりとりの後、清美さんは子どもたちに語り掛けた。

 「おじいちゃん、おばあちゃんを守るのは、あなたたち。ちゃんと『すぐ避難しよう』って言うんだよ」。家族の避難ルールが一つ、加わった。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20141207_02.html