◎避難・帰宅、ごった返す

 東日本大震災では、普段から渋滞しやすい道路に、避難の車や家族の身を案じて帰宅する車が殺到し、進行を妨げた。石巻市中心部の幹線道路も、身動きが取れない状態に陥った。

 日和山(56メートル)の海側。石巻市門脇町から内陸に向かう県道は、見通しが利く約600メートル先まで車がつながっていた。カーブの先は国道398号にぶつかる。石巻市南浜町の家庭教師草島真人さん(53)の車も進まなくなった。

 ズズズ、バーン、バーン。背後で何かが破裂する大きな音が響いた。血の気が引いた。さっき見た津波が、家々を巻き込みながら迫ってくる。

 とっさにハンドルを切り、走行車のない反対車線に入った。クラクションを鳴らし続け、約200メートル逆走する。脇道を見つけ、右折した。

 そこも車が数珠つなぎだった。津波が頭をよぎり、車を飛び出した。「逃げろ」と車列の窓をたたきながら、日和山の坂道を駆け上がった。

 後に続く人はなかった。振り返ると、あんなに並んでいた車が街並みごと濁流に消えていた。

 地震発生直後。草島さんは石巻専修大付近から海沿いの自宅に車を走らせた。「子どもたちが家にいるかもしれない」。信号は消え、国道398号や幹線道路は早くも渋滞していた。

 自宅に次女(22)と長男(20)はいなかった。避難所の門脇小に行ったが見つからず、携帯電話もつながらない。

 再び車で帰宅した。直後、約200メートル離れた海浜公園の向こう側で、巨大な津波がそびえ立つのを見た。急いで内陸に車を走らせたが、すぐ先に渋滞が待っていた。

 次女は日和山に避難し、長男は東松島市の実家で無事だった。草島さんは「九死に一生を得たが、不必要に車で移動した私も、渋滞の種になっていた」と思い返す。

 11キロ−。石巻市中心部を横切る国道398号で起きた渋滞について、警察庁が目撃者の証言を基にまとめた距離だ。

 石巻漁港そばの石巻市水産加工業協同組合で働く阿部浩之さん(47)は、国道398号を下り宮城県女川町の自宅に車で向かう途中、上り車線の渋滞を目撃した。「下りはすいすい進めるのに、上りは全く動かなかった」

 同僚の阿部恵さん(53)は地震後、夫の母(87)がいる同市湊立石の自宅に車で向かった。足の悪い母親のことが気掛かりだった。

 自宅に行くには、国道398号や、内陸側の市道(通称・中道道路)を越える必要がある。焦った。既に国道と市道は車が動いていない。脇道を選び、縫うように進む。直線で約1.5キロ移動するのに、いつもの倍の20分余りかかった。

 自宅に着いた約15分後だった。誰かが叫んだ。「津波が来たぞー」。隣人が母をおんぶしてくれた。一緒に歩いて、小高い場所に逃げた。

 波が引いた後、言葉を失った。自宅近くの駐車場に、100台以上の車が家の2階の高さまで積み重なっていた。

 石巻市では、被災自治体で最も多い3713人が死亡、行方不明になった。車列ごと津波に襲われ犠牲になった人も少なくなかった。

◎命の道、渋滞常態化/解消策、今は決め手なく

 石巻市の国道398号の激しい渋滞の様子をホンダのカーナビシステムが克明に記録していた。

 衛星利用測位システム(GPS)情報によると、大街道地区では、車が400メートル進むのに51分30秒かかった。カメの歩行速度とほぼ同じだ。

 その時、会社員神山慎治さん(37)は長男(12)が通う釜小に車を走らせていた。国道398号が大街道から北上運河を渡る交差点の付近だった。

 内陸部に向かう橋では車が詰まっていた。皆、われ先にと車を前に突っ込んでいる。クラクションが鳴り響いた。

 橋を避け、遠回りして釜小に着いた。自宅を出てから、いつもの4倍の20分が過ぎていた。長男を車に乗せ、出発しようとした時、黒い水が車に迫った。車を捨て、長男と一緒に校舎の上階に駆け上がった。

 石巻市湊町の国道398号も、車列は固まったように動かなかった。内海橋に向かう上り車線だけでなく、下り車線も車列が続いた。

 「逃げろ、逃げろ!」。津波の接近に気付いた庄司慈明さん(61)は乗っていた自転車を捨てた。国道を横断しながら大声で避難を呼び掛け、湊小に駆け込んだ。車から出て来たのは2人だけのように見えた。

 「市の中心部は『島』と一緒なんですよ」

 石巻市防災対策課の二上洋介課長は、地図を指でなぞった。石巻湾、旧北上川、北上運河に囲まれた市中心部は、確かに島のように見える。

 市中心部の昼間人口は4、5万人。「島」を出て内陸に避難するには、旧北上川と北上運河に架かる大小13の橋いずれかを渡る必要がある。普段から平日の朝夕は橋の周辺に車があふれている。

 二上課長は言う。「車避難を控えるだけでは、渋滞が解消されない難しさが、石巻にはある」

 昨年12月7日、宮城県沖で津波警報が発令された。市中心部の幹線道路は約1時間半にわたり、ヘッドライトが延々と連なった。日和山に至る8本の道路も、車列がふもとから続いた。

 同市の草島真人さん(53)は、塾の講師をしている市役所向かいの教室から日和山に生徒らと歩いて登った。車を何台も追い抜いた。震災時、車で避難して津波にのまれそうになった経験が歩きを選択させた。

 津波避難に有効な道路の整備はしばらく先になる。「あの日」の写し絵のような大渋滞は、これからも繰り返される。

◎徒歩避難、環境整備を 誘導案内の少なさ問題/東洋大准教授(災害社会学)・関谷直也さん

 日ごろから交通量が多い道路が災害時に渋滞するのは当然のことだ。沿岸都市の道路を見ると、他の沿岸の街を結ぶ海沿いは拡幅されているが、津波避難に役立つ視点では整備されていない。

 石巻市の場合も、内陸部に向かう南北方向の道路整備は進んでいないようだ。震災時も今も、南北の動線が細いため交差点が混雑し、海と並行して走る幹線道路も渋滞してしまう。

 石巻市と同様に沿岸部に人口が密集する気仙沼市、多賀城市などは津波が想定される場合、海沿いの自宅に戻らないのはもちろんだが(1)避難に車を使わない(2)運転中なら車を乗り捨てて逃げる−を徹底してほしい。

 ただ、精神論や教訓だけで人は動かない。車は乗り捨てることに抵抗感が強い。ちゅうちょせずに車を捨てて避難できる仕組みが必要だ。

 道路の電光掲示板や防災無線で「車を捨てて避難して」とサインを出す。路側帯に災害時の車両置き場のラインを引き、ロードサイド店には駐車に協力する看板を掲げてもらうといい。

 被災地に行くと、避難路や避難場所の案内板がほとんどないことに驚かされる。遠方から復興作業に当たる人々が多く、早急に掲げるべきだ。逃げ場所が分からないから車で遠くに逃げようとする。

 国の調査では東日本大震災で車避難した人が57%に上った。日常生活で車を使っている以上、災害時に混雑しない道路では、車で避難しても構わない。

 しかし、日ごろから道路が渋滞する「車避難がリスクになる地域」は、避難ビルや津波タワーを重点的に造り、車を使わせないありとあらゆる方策を重ねてほしい。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20141207_05.html