◎帰宅の子ども守れず

 学校にいない時間帯、子どもの安全は家庭や地域に委ねられる。東日本大震災では、津波に対する危機意識の違いが、地域の避難行動と被害を左右したとされる。相馬市磯部地区は、住民の1割余りが命を失い、帰宅後の子どもたちも犠牲になった。

 「逃げっぺ」が言えなかった。

 相馬市磯部地区の漁師寺島八美さん(71)はあの日、自宅隣の納屋にいた。午後2時40分過ぎ、10歳と7歳だった孫2人を磯部小に迎えに行った家族の車が、家の前に止まった気配がした。

 ほぼ同時に、大きく揺れた。自宅を見に行くと、冷蔵庫が倒れ、床には食器が散乱していた。軒先の地面は割れ、泥水が高く噴き出した。孫は泣いていた。

 手分けして片付けを始めた。30分ほどたっただろうか。一段落して、自宅一階の自室に向かった。長男夫婦、義母、2人の孫がまだ外にいたのを覚えている。

 部屋に入った数分後、破裂音のようなごう音を聞いた。黒いダンプのようなものが窓ガラスを破った。濁流だった。

 部屋の扉から押し出され、縁側から家の外に吹き飛ばされた。水中で必死にもがいているうちに、水の上に顔が出た。目を疑った。自宅の2階が目の前を流れている。

 水面にはがれきや、大きな松の木が漂っていた。波をかぶりながら、がれきにつかまった。

 激流に身を任せるしかなかった。孫たちのことが頭をよぎった。「助かっていてほしい」と祈った。

 磯部小では、寺島さんの2人の孫を含め児童11人、磯部中は生徒6人が、津波で命を落とした。

 複数の保護者によると本震の当時、磯部小は低学年の大半の児童が下校していた。磯部中は午前中に卒業式を終え、放課後だった。両校とも、校舎は高台にある。児童生徒が犠牲になったのは、帰宅したり、保護者に引き渡されたりして、地域に戻った後だった。

 寺島さんは屋外にいた孫ら家族5人を失った。磯部小まで車で3分ほど。逃げる時間はあった。

 寺島さんに限らず、津波避難の意識は、地域全体で希薄だった。

 行政区長たちは「地域で津波を想定した防災訓練をしたことはない」と口をそろえる。

 市内の小学校10校も震災前、津波を想定した避難訓練を実施していなかった。

 550人。岩手、宮城、福島3県の保育所と幼稚園、小中学校、特別支援学校で、大津波の犠牲となった児童生徒数だ。このうち引き渡し後や自宅で被災したのは460人で、全体の8割を超える。

◎「来ない」経験あだ/消防団誘導に動き鈍く

 水産加工会社経営の佐藤正憲さん(63)は本震の40分後、軽トラックで自宅を出た。

 近所の人たちに、切迫感は無かった。家の周りをうろうろしたり、犬の散歩をしたり…。

 磯部小のある高台に向かった。海岸で土煙が上がるのを見た。直後、黒い水が住宅を壊し、近づいてきた。

 ギアをバックに入れ、後ろを確認せずにアクセルを踏み込んだ。20メートルほど後ろには、小山に続く道があったはずだ。

 運転席を飛び出し、坂を駆け上がった。息が切れ、横になった。起き上がると、自宅があった住宅地は海になっていた。

 相馬市磯部地区では約2000人の住民のうち、251人が大津波の犠牲になった。市全体の死者・行方不明者458人の半数を超える。

 「相馬沖は遠浅だから津波は来ない」。地域の多くの人たちが、そう信じていた。1960年のチリ地震でも津波は防潮堤を越えなかった。経験則があだになった。

 佐藤さんも消防団員の避難の呼び掛けに、半信半疑だった。妻(60)と長女(29)は、車で磯部小に向かわせたが、自分は家に残った。

 消防団員に再び避難を促され、軽トラックに乗った。途中で見かけた住民は逃げ遅れて亡くなった。声を掛けてくれた消防団員も犠牲になった。

 地区の一部では本震後、防災無線が止まった。住民の反応の鈍さに消防団員たちは焦った。

 団員の遠藤一美さん(34)は本震の後、海の様子を見に行った。驚くほど潮が引いていた。

 漁港と住宅地をポンプ車で往復しながら、スピーカーで避難を呼び掛けた。多くの住民が片付けをしたり、近所同士で話をしたりしている。農作業を続ける人もいた。

 漁港から住宅地に戻ろうとした時だった。海岸沿いの松林でバキバキと音がし、大音響とともに水が高く打ち上がった。

 サイレンを鳴らし、内陸にポンプ車を飛ばした。海に向かう20~30台をUターンさせた。真っ黒な津波が追い掛けてくるのが見えた。

 ほぼ同じころ、元消防団員の宮崎一郎さん(63)は、ポンプ車に乗った分団長(49)に声を掛けた。分団長は海辺の住宅地に向かおうとしていた。「津波来っぞ。もう行ぐな」

 分団長はこう応えた。「まだ人がたくさん残っているみたいだ。行ってくる」。間もなく、住宅地は津波にのまれた。

 相馬市消防団は団員10人が犠牲になった。そのうち9人は、分団長ら磯部の第9分団だった。避難誘導をしている最中に津波に襲われた。(「いのちと地域を守る」取材班)=第2部は1月下旬に掲載します

◎心構え、被害規模左右 学校と地域で連携を/東北福祉大教授(学校保健学)数見隆生さん

 犠牲になった子どもの数は地域ごとに大きな差がある。地形に加え、津波に襲われた歴史、住民の被災・避難の経験の違いなどが大きく影響している。

 例えば、今回の震災で死亡・行方不明になった宮城県内の小中学生数は、1933年の昭和三陸津波や60年のチリ地震津波で大きな被害を受けた岩手に比べて7倍に上る。地域の津波に対する危機意識や心構えの違いが背景にある。

 特に低学年の子どもの場合は、家族や地域の人たちの影響を受けやすい。磯部地区も同様のことが言える。

 災害の発生する時間は、在宅時や登下校中、夏冬休みなど、子どもが学校にいない時間帯の方が長い。子どもの命を守る上で、家庭や地域の役割は非常に大きいと考えるべきだ。

 学校での防災教育は地域の防災力を高める点でも有効だ。家庭で在宅時や登下校中の避難先を記した防災マップを作ってもらえば、保護者や地域を巻き込んだ防災活動が展開できる。

 災害に関する知恵や知識を身に付けた子どもが成長して大人になることで、防災意識や備えを地域に広め、根付かせていく。時間をかけた取り組みが必要だ。

 災害は子どもの成長を待ってくれない。その間、地域の防災力をアップするために、学校や中学生を交えた自主防災組織を地域につくってはどうか。保護者、住民が連携し、一緒に避難訓練などを実施すれば、非常時の意思疎通も容易になる。

 行政区や町内会には、子どもを守ることは地域を守ることにつながるという意識を持ち、学校に働き掛けてもらいたい。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20141207_03.html