東日本大震災では、車避難で多くの犠牲が出た一方で、救われた命もあった。少子高齢化、過疎化、暮らし方の変化に伴い、現代の生活の中心に根を下ろす車を、避難にどう位置づけるか。震災後、国は津波避難の際、条件付きで車利用を容認する姿勢に転じた。研究者や行政、地域も模索を始めた。(「いのちと地域を守る」取材班)

◎200メートルを隔て渋滞と閑散

 宮城県岩沼市の社会福祉法人ライフケア赤井江は、海の近くの同市下野郷浜で特別養護老人ホーム「赤井江マリンホーム」とデイサービス施設を運営していた。震災発生時に両施設にいたお年寄りは96人。揺れが収まると、約1.5キロ先の仙台空港を目指した。

 ラジオが見つからなかった。特養事務長の鈴木信宏さん(55)は、リフト付きバンを玄関前に運ばせ、カーラジオをつけた。

 海まで約300メートル。施設は平屋で、津波が来たらひとたまりもない。ラジオが告げた。「津波の高さは10メートル」。堤防は7.2メートルのはず。「空港だ」。避難を指示した。

 玄関口にワゴン車など4台を寄せた。食堂やホールに集まっていた入所者を車いすごと玄関付近に移し、次々と車に乗せた。午後2時55分、第1陣が出発した。

 先頭車両のハンドルを握る我妻信幸さん(30)は考えた。県道仙台空港線から空港を目指すと、右折の必要がある。空港線は交通量が多い。「対向車の通過を待つ時間が惜しい」。迂回(うかい)ルートを選んだ。

 橋で行き詰まった。地震で段差ができて、通れない。後続車が近づく。祈るような気持ちで左にハンドルを切り、土手沿いの細い道を進んだ。

 別の橋から空港線に出ると、走っている車はほとんどない。拍子抜けした。対向車を見ることなく、15分足らずで空港ビルに着いた。入所者を降ろし、空港関係者に搬送を頼んだ後、閑散とした道を施設に急いだ。

 そのころ、空港線の200メートルほど内陸では、渋滞が起きていた。空港の南に広がる工業団地から内陸部に避難しようとする車が流れ込んでいた。

 同市の農業小林辰男さん(73)は、母が入所する特養から夫婦で帰宅途中だった。「前の車が進むと、横からどんどん車が入ってきた」。ほとんど動けない。団地に入り、記憶を頼りに細い道を縫って自宅に戻った。

 職員らは3回往復し、午後3時53分、お年寄り、職員計144人の避難が終わった。6分後、大津波が空港ビルに押し寄せ、1階が水没した。

 3階に避難した職員らは、不安に駆られながら濁流を見守った。空港線では、渋滞中の車が津波にのまれたとみられる。

 施設は、2010年のチリ大地震で内陸部の系列の施設に避難した際、移動完了までに1時間半もかかった。防災対策を見直し、避難先に空港を加えた。「特養のような施設は車で逃げるしかない。後で渋滞を知り、ぞっとした」と鈴木さん。

 わずか200メートルを隔てた場所で起きた車の過疎と過密。「奇跡の避難」は危険と紙一重だった。


◎事前想定、犠牲防ぐ/地域特性探り徒歩避難

 災害時、車はどう動き、渋滞がどこで起きるのか。それを事前に把握し、犠牲を食い止めた地区がある。

 防潮堤がない宮古市角力浜(すもうはま)地区。震災で8メートルの津波が押し寄せたが、浜に船を見に行った1人を除く住民約110人が助かった。

 当時、家にいた人のほとんどが徒歩で高台に逃げたという。町内会長の鳥居清蔵さん(73)は「これまでの避難訓練の成果だ」と強調する。

 町内会は2005年から津波対策に取り組んできた。県などの補助を受けて避難路や避難階段を設けた。誘導標識を置き、独自の津波避難マップも作成。訓練では、高台に歩いて逃げることを徹底した。

 住民が行き交う市道の幅は狭く、大型車両が通ると擦れ違うのが難しい。一方、景勝地の浄土ケ浜や、宮古港周辺の水産加工場や冷凍工場に接続する道でもある。住民は通行する車を観察し、日中は観光客の車や業務用の大型車両が多いことを確かめた。

 「観光客や業者は、車で避難するはずだ」。住民はこんな想定の下、安全に逃げる方法を考えた。結論は「渋滞は避けられない。歩いて避難するしかない」だった。

 震災後、中央防災会議の報告を受けて国は、原則徒歩を強調しながらも条件付きで車避難を容認した。お年寄りや身体障害者の避難、平野部での長距離移動では車が必要になると大震災で明らかになったからだ。

 避難の際の車と徒歩のバランスをどう取ったらいいのか。指標の一つとして、シミュレーションが注目されている。

 東北大災害科学国際研究所の金進英助教(交通工学)は、仙台市から石巻市までの沿岸市町を対象に、東日本大震災発生時の条件で道路状況を再現した。

 地震後、既に走行中の車両全てに加え、昼間人口の50%が1台に3人乗車して避難を開始したと仮定。避難所860カ所に最短経路で移動した場合の平均所要時間と被災状況を求めた。

 断続的に各地で渋滞が発生。午後3時半以降、津波が到達し始めると、仙台と石巻両市の沿岸部を中心に、12万7502台のうち、7146台が津波に襲われるとの結果が出た。

 金助教は「条件次第で結果は大きく変わるが、どの道路が渋滞が起きやすく危ないか、避難所の配置は適切かなどが分かる」と話す。

 避難対策の検討に、シミュレーションを活用する自治体も出てきた。仙台市は津波避難施設を整備する一環で、車と徒歩の割合ごとに避難完了までにかかる時間を調べた。気仙沼市も今後、避難行動の分析に用いる。

 東北大災害科学国際研究所の奥村誠教授(交通計画)は「車避難が認められたからといって誰もが車を使えば、渋滞は発生する。シミュレーションで条件を変えながら、車避難の対策、抑制策を考える必要がある」と指摘する。


◇「わがこと」

 連載「わがこと」は「いのちと地域を守る」キャンペーンの一環として、東日本大震災で起こったことをあらためて取材し、犠牲者を一人でも少なくするための教訓を考える。

 「わがこと」には、災害をひとごとではなく、自分や家族にも起こると捉え、備えてほしいとのメッセージを込めた。

 キャンペーンでは、巡回ワークショップ「むすび塾」も被災地や西日本などで開催し、防災・減災の手法を住民と話し合い、行動を促す。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150108_06.html