渋滞を避けるため、車避難は要援護者の搬送に限る。釜石市両石町では、そんな地域の取り組みが実を結んだ。

 ドドド…。突き上げるような揺れに襲われた。湯が沸くように海が泡立った。

 あの日、両石町の町内会長瀬戸元さん(67)は両石漁港にいた。町内会の事務所から拡声器を持ち出し、ミニバイクの荷台にくくり付けた。「津波さ来っから避難しろ!」。地区を回り、声を張り上げた。

 約15分後、自分も避難するため国道45号を横断しようとした。車の往来が激しく、なかなか渡れない。やっと横切って高台の両石公園に至る細道に入ると、脇道から白い軽トラックが来た。

 荷台には、近所のおじいさんが座っている。上着と帽子を着込み、リアウインドーの格子を握っていた。傍らにはステッキ。足が悪く、これがないと歩けない。

 運転席をのぞき込んだ。「ああ会長、1人乗せてきたから」。顔見知りの住民だ。軽トラックは徒歩で坂道を急ぐ住民をよけ、公園に向かった。国道45号とは対照的に、他の車の姿は無かった。軽トラックは、避難での使用を事前に頼んでいた1台だった。

 国道45号は2010年2月のチリ大地震津波で大渋滞が起きた。住民みんなが車で逃げたら、地区の避難道も渋滞になる。「このままではまずい」と瀬戸さんは思った。

 町内会の役員は10年12月に自主防災組織の設立を決めた。あらためて津波対策を検討した。

 両石町は明治や昭和の大津波で犠牲を出した。住民に津波の時の共倒れを防ぐ「命てんでんこ」の教訓が根付く。一方で、地区住民約600人のほぼ半数は65歳以上。避難に助けが必要なお年寄りもいる。

 「高齢者の救助は先人の教えに背く」「今は車があるから考え方を変えなければならない」。そんな議論を経て、車避難は、歩行困難な要援護者を運ぶため登録した車に限定した。町内12班ごとに要援護者と搬送車のペアをつくり、車は各班1~2台と決めた。

 瀬戸さんが公園に着くと、高齢者を中心に住民120人が避難していた。その約10分後の午後3時15分ごろだった。湾内で渦巻く黒い水が盛り上がり、高さ10メートルの防潮堤を越えた。

 公園のすぐ下を走る国道45号では車が走り続けていた。「来たぞー大津波だー」。拡声器の叫びはドライバーに届かず、車ごとのみ込んだ。

 最大21.5メートルに達した津波は一部の高台をも襲い、45人が犠牲になった。ただ、震災後に瀬戸さんが調べると、要援護者9人を含む住民のほぼ全員が高台に逃げることはできていた。

 車避難は渋滞と隣り合わせ。両石町のように住民しか使わない道の場合は「車は弱者を救う時だけ」という約束が、効果を発揮した。

◎車抑制、業者も悩む/住民との課題共有必要

 <やむを得ず車で避難する場合、車の数を限界量以下に抑えるよう地域で合意形成を図る>。震災後、国は津波からの車避難を一部認めながら、地域で渋滞対策に知恵を絞るよう求めた。住民、企業はそれぞれの立場で頭を悩ませている。

 震災後、沿岸部では自宅を再建した人々がまばらに戻りつつある。

 昨年12月7日午後5時20分ごろ、宮城県山元町花釜行政区の自営業菊地慎一郎さん(65)は津波警報の発令を知り、一人暮らしの柴田ひろさん(82)宅に向かった。浸水した家を再建したご近所同士。「一緒に逃げよう」と妻の車に乗せた。

 内陸の国道6号に向かう道路は早くも渋滞していた。車を反転させ、脇道から迂回(うかい)して避難した。

 高台まで2キロ。一帯は海から国道まで平野が広がる。柴田さんは車を持たず、震災発生当日は、避難できなかった。

 「お年寄りでなくても、歩くと時間がかかる。車で避難するしかない」と菊地さん。ただ、渋滞の不安は尽きない。

 震災を挟み、花釜区の世帯数は約1000から250に激減した。住宅街は、道行く車も少なくなった。

 一方、復興作業に当たる大型車両が急増した。町の沿岸部では「室蘭」「沖縄」など全国各地のナンバープレートを付けたダンプカーが行き交う。その数、約2000台。津波発生となれば、内陸に押し寄せる。

 「住民、業者どちらが優先でもない。限られた道をどう使うか」。菊地さんは研究者らに協力してもらい、解決の道筋を探る。

 気仙沼市で震災廃棄物の処理を担う大成建設東北支社など10社の共同企業体(JV)は昨年11月3日、宮城県と市の合同避難訓練に参加した。

 階上、小泉両地区の浸水域に約450人が働いている。訓練では57人が最寄りの避難所まで徒歩や車で逃げた。

 訓練後の反省会では、参加企業が、市担当者と地域の避難の課題を話し合った。現場から高台まで約1~2キロ。「原則、車で避難しよう」と申し合わせた。

 昨年12月7日、津波警報が発令され、階上地区では国道45号に接続する道が500メートル以上渋滞した。従業員はダンプカーなどから降り、走って逃げたという。

 工務担当の仲里和宏さん(37)は、避難計画に車の乗り捨てを加えた。「国道近くまで進んで車を乗り捨てれば、従業員の命は守られ、地域への影響も小さい」

 津波被災した自治体にある事業所を対象に国が行った調査によると「津波避難場所や避難ルートを決めていた」は19.7%、「定期的に津波避難訓練した」は9.2%にとどまった。平日は仕事、週末は休みのため、地域が実施する避難訓練への参加率も低い。

 東北大災害科学国際研究所の安倍祥助手(津波工学)は「企業は従業員の命を守るのが前提だが、単独のマニュアルだけでは地域と利害が対立しかねない。一緒に避難訓練したり、話し合ったりしながら地域課題を共有し、最善の選択を考えてほしい」と話す。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150108_05.html