子どもが学校にいる時間は、平日の1日で3分の1ほど。土日や長期の休みを考慮して計算すれば、1年の2割にすぎない。東日本大震災は、帰宅後の子どもたちが自らの命を守ることの大切さを教訓として残した。

 震災が発生した時、石巻市雄勝中の生徒77人は卒業式を終え、みんな下校していた。

 当時1年の伊勢直也君(15)が揺れに襲われたのは、友人宅に向かう途中だった。雄勝湾を望む高台にある雄勝中央公園に走った。

 「お前のお母さんが、下で直也、直也って呼んでたぞ」。公園に上ってきた住民や先輩からそう告げられた。母くみ子さん(46)は沿岸部の職場にいる。職場まで車に乗せてもらい、別れたばかりだった。

 海は平穏に見える。「俺を捜している。高台を下りようか」と何度も思った。

 踏みとどまった。1960年のチリ地震津波を知る父(58)の口癖を思い出したからだ。「地震が起きたら、津波を考えろ」と口酸っぱく言われてきた。

 避難した人の中に母の姿は無い。時間だけが過ぎ、眼下に広がる街を津波がのみ込んだ。母が逃げていることを祈った。

 父、母、姉、弟と再会したのは本震から2日後。母は自宅に向かい、消防団員から、姉が船越小に避難したと聞き、後を追った。父は仙台市の内陸部にいて、弟は船越小で避難誘導されていた。

 くみ子さんは「家で地震のたびに避難していたので、直也もきっと逃げたと信じた」と話す。

 リアス式海岸を抱く旧雄勝町は、明治三陸大津波(1896年)昭和三陸津
波(1933年)チリ地震津波(60年)に襲われた歴史がある。旧町内には「地震があったら津波の用心」と刻まれた石碑が数多く残る。

 当時1年の横江里咲さん(15)にとって震災は、初めて体験する大きな揺れだった。「きっと津波が来る」と避難の準備を始めた。卒業した船越小の近くには石碑がある。祖母から昔の被害の様子も聞いていた。

 家族4人で自宅の裏山の畑に避難した。一緒にいた住民が防波堤からあふれる濁流に気付いた。里咲さんは「急いでね」と祖母の背中を押した。畑にも波が迫り、さらに山林の急斜面をはい上がった。

 旧雄勝町は78年の宮城県沖地震を機に、地域単位で避難訓練をしている。毎年6月に20町内会ごとに行う津波避難訓練には、子どもも参加した。

 同級生の伊藤浩哉君(15)は本震の後、自宅から両親の車で高台に向かった。訓練で繰り返し上った避難場所だ。

 駐車スペースを探していた時だった。「『津波だー』という近所のおんちゃんの声を聞いて、さらに坂を上がった」と言う。

 旧雄勝町は今回の大津波で、住宅の8割が全壊した。生徒の自宅も全てのまれたが、学校は震災から8日後、全員の無事を確認した。家庭、地域に染みこんだ防災意識が子どもたちを守った。

◎命優先児童が提言/地域防災の教訓未来へ

 子どもたちが新たな「伝承」を紡いだ。

 津波が校庭に押し寄せた宮古市の鍬ケ崎(くわがさき)小の体育館で19日、卒業式があった。体育館入り口の壁に「五つの提言」と名付けた木製プレートが掲げられた。壇上の6年生59人がじっと見詰める。

 地震がきたら迷わず高台へ逃げるべし
 命を優先し何があってももどらぬべし
 助け合い人とのつながりを大切にするべし
 万一に備え防災グッズを準備しておくべし
 未来へ向けて一歩一歩進むべし

 卒業生が、学校への置き土産として一文字ずつ刻んだ。

 震災後、当時5年生だった卒業生は地域の住民23人に「震災当日にどう身を守ったか」などについて聞き取りをした。回答を五つの提言にまとめ、冊子にして住民にも配った。

 調査を考えたのは、子どもたち自身だ。

 「児童は震災当日、津波を見ていない。破壊された街を見て、語り継がなければならないと感じたようだ」。担当教諭の井口道子さん(54)は振り返る。

 あの日、学校にいた児童235人は訓練通り高台の神社に避難し、海に背を向けて並んだ。欠席の5人も無事だった。一方で児童の自宅の約4割が被災するなど、地域は大きな被害を受けた。

 被災した学校の多くは、つらい記憶の心身への影響に配慮して震災の「振り返り」を避けている。調査は被災した住民の心の痛みとも向き合うことになる。

 学校には「みんな被災者だから一緒に乗り越えられる」という確信があった。津波避難マップづくり、ホタテ漁体験などを通し、住民と接する下地もできていた。

 児童の質問を受けた古館昌三さん(77)は自宅兼店舗が全壊した。「避難用のリュックサックを用意して」「商売は地域のために続ける」。後世に残したい言葉を伝えながら「学校と地域が一緒に震災を語り続けることが大事」と感じた。

 子どもたちの考えも同じだ。「未来の子どもたちにこんなことがあったと話したい。いろんな人が助かってほしいから」と上田健登君(12)。黒沢結愛さん(12)は「命が一番大事」という短い言葉を大切にしようと思った。

 学校は「五つの提言」を各教室にも掲示。4月の新年度当初、9月1日の防災の日、阪神淡路大震災が発生した1月17日、昭和三陸大津波の3月3日、そして東日本大震災の3月11日の年5回、みんなで唱和する。

 防災教育は学校内だけのものではない。子どもたちは成長し、地域の担い手や親になる。校長の古玉忠昭さん(53)は「地域防災の宝としてずっと受け継ぐ」と誓う。
(「いのちと地域を守る」取材班)=第5部は4月中旬に掲載します。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150108_07.html