東日本大震災では、自力避難が難しいお年寄りや障害者が多く亡くなった。一方で、災害弱者を救おうとした町内会役員や民生委員、消防団員の犠牲も目立った。あの日の証言とともに、要援護者の避難と支援の課題を探る。(「いのちと地域を守る」取材班)

◎人の力や誘導不可欠

 障害者は日常生活だけでなく、被災時の避難行動でも大きなハンディを負う。津波が迫る中、生と死は紙一重だった。

 訪問入浴サービスの直後だった。突然の激しい揺れ。石巻市松並の主婦阿部由美子さん(53)はスタッフとともに、重度の障害で寝たきりの次男弘樹さん(23)のベッドに駆け寄った。

 弘樹さんは自力で移動できず、会話も困難。食事をはじめ、日常生活の全てに介助が必要だ。由美子さんは弘樹さんの体に覆いかぶさり、上から落ちてくる物から守ろうとした。

 揺れが収まって約10分後、夫が市内の勤務先から血相を変えて戻ってきた。「津波だ。逃げろ」

 夫とスタッフ、2人がかりで弘樹さんを抱え、車に乗せた。由美子さんは弘樹さんの生活に欠かせない栄養剤、たん吸引器、車椅子、毛布を積み込んだ。

 自宅は海から500メートル。海と逆方向に車を発車させて間もなく、道路の両端を泥水が流れてきた。渋滞に遭うことなく、スーパー屋上の駐車場に乗り入れた。周辺は既に波にのみ込まれ、濁流の中から「助けて」と叫ぶ声が聞こえた。

 災害時、弘樹さんを安全に移動させるには、3人以上の人手が必要だ。普段は自宅で由美子さんと弘樹さんが二人きりのことも多い。

 夫の帰りが、あと1分遅かったら。訪問入浴のスタッフがいなかったら。道が混んでいたら。思い返すたび、由美子さんは不安になる。

 名取市閖上の渡辺征二さん(72)、勝子さん(68)の夫婦は、海から1キロ離れた自宅で地震に遭った。ともに耳が聞こえない。揺れで落ちてきた蛍光灯や食器が床に散乱した。テレビのスイッチを入れたが、停電で映らない。普段はメールの利用で重宝している携帯電話も通信できなかった。取りあえず、2人は自宅の片付けを始めた。

 そのころ、家の周辺では消防団と消防署員が車を走らせながら避難を呼び掛け、逃げる人々で騒然としていた。夫婦には避難誘導も、外の様子も届かない。

 午後3時半すぎ、夫婦の身を案じて兄敏正さん(76)が駆け付けると、地域に人影はなかった。ごう音が聞こえる。慌てて家の中に飛び込み、2人を見つけ、身ぶり手ぶりで訴えた。「津波が来てる」

 3人で家から出た。黒い波が500メートル先の住宅街に迫っていた。敏正さんの車に飛び乗り、津波に追い掛けられながら内陸へ急いだ。仙台東部道路にたどり着くと、水にのまれた人や車が流されて来るのが見えた。

 「自分たち聴覚障害者は動けるのだから、揺れたら逃げないといけなかった」と征二さんは反省する。

 内閣府の調査によると、東日本大震災では、障害者1702人が犠牲となった。死亡率は1.47%で住民全体の死亡率0.75%の2倍に達した。

◎体験者が実情訴え/避難の課題、地域と共有

 東日本大震災を経験した障害者が、避難の課題を地域と共有し、被災時の避難支援に結び付けようという取り組みが進んでいる。

 視覚障害者の団体でつくる日本盲人会連合は本年度、「語り部プロジェクト」に乗り出した。

 話し手は、岩手、宮城、福島各県の視覚障害者。震災の教訓を語り継ぐ一方、震災発生後の情報収集や避難行動に、周囲の手助けが欠かせない実情を知ってもらうのが狙い。これまで3県の18人が登録した。

 釜石市で5月24日、初めての語り部活動が行われた。釜石に住む中村亮さん(59)が、花巻市南城中の1年生約90人に被災体験を語った。

 あの日、全盲の中村さんは揺れが収まった後、一人で避難場所に行くのは難しいと判断し、同居する妹の帰りを待った。心配して訪ねてきた近所の住民に手を引かれ、津波が迫る中、高台に避難したという。「自分の力だけでは避難できない人がいることを心に留めてほしい」と強調した。

 今後、秋田市や名古屋市での開催を予定する。日本盲人会連合東北ブロック理事の及川清隆さん(60)=奥州市=は「自分たちの体験や教訓を風化させないために、障害者が能動的に取り組む必要がある。活動を通じ、避難の課題を広く社会に訴えたい」と説明する。

 障害者が自ら身を守る方法を学ぶ試みも始まった。宮城県ろうあ協会などの県内5団体で作る「みやぎ被災聴覚障害者情報支援センター」は本年度、聴覚障害者の防災力向上を目指し、相談会や講習会を始める。

 震災後、障害者から「防災無線の情報が得られなくて不安だった」「周りの人とコミュニケーションが取れず、困った」などの声が寄せられた。

 相談会では地域の避難場所や、海の近くで揺れを感じたら高台や内陸部に逃げる避難の基本を確かめる。自治体が防災無線の内容をメール配信するサービスの登録や、要援護者の避難支援の計画を学ぶ機会も設ける。

 宮城県ろうあ協会の小泉正寿会長(63)は「震災時は、情報を得られず逃げ遅れたり、どうしたらいいか分からなかったりした人たちが多かった。障害者自ら、震災の教訓を次の備えに生かす努力をしていく」と話す。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150207_11.html