東日本大震災では、要援護者の支援に奔走した地域の世話役が、津波の犠牲になった。

 「ここは危ないから、逃げっぺし」

 JR陸前高田駅(陸前高田市)の駅通り周辺。本震から約15分後、すし店主阿部和明さん(59)は、一人暮らしで寝たきりの90代女性宅を訪ね、避難を促した。

 「頑丈だから大丈夫」「着替えていないし、足袋も履いていない」。女性は、事態が分かっていないようだった。後から駆け付けた訪問介護ヘルパーらと説得を続けたが、動かない。

 「いつまで何やってんだ。早く積め!」。誰かが声を荒らげた。敷布団ごと女性を1階寝室から運び出した。店の配達車に乗せて、高台へと走った。

 阿部さんは震災の2週間前、民生委員の高橋武志さん=当時(74)=と町内会長の金野要さん=当時(67)=から、災害時に女性の避難を手助けするよう頼まれていた。

 震災当日、高橋さんとは女性宅で顔を合わせた。高橋さんは「来てけだのか。いがった、いがった」とホッとした表情を見せていた。民生委員歴33年の地域の世話役は、人の手が足りたのを見届けると「次に行く」と、立ち去った。

 前後して、高橋さんは、女性宅から約150メートル離れた寝たきり状態の80代男性宅にも姿を見せている。

 男性の妻(77)は車庫の前で「大丈夫ですか?」と高橋さんに声を掛けられた。長女(38)と2人で夫を運び出すのが難しく、困り果てていた。

 高橋さんは、ガラスの散乱した家内に土足で上がり、近所の人と、男性を1階茶の間から車まで運んだ。その後、どこかに向かったらしい。

 「3メートル、5メートルでは済まんらしい」。津波の予想高は刻々と増し、市消防団高田分団は消防車両を走らせながら、避難を呼び掛ける口調を強めた。

 消防車両は陸前高田郵便局前で、行政区長の中村正男さん=当時(61)=と元町内会役員の菅原和好さん=当時(59)=と鉢合わせした。

 「大きいの来るってよ。早ぐ逃げてけらいん」と団員が声を張ると「あそこの一人暮らしの年寄りの家だけみて、逃げっから!」と2人は応じた。「駄目だ。早く逃げらいん!」。双方譲らず、言い合いになった。

 菅原さんの長男で消防団員の和基さん(32)は、郵便局近くの交差点で避難誘導をしていた。高台に向かう道路は渋滞し、歩いて逃げるお年寄りもいた。

 「気仙沼で津波の第1波を観測しました」。携帯電話のテレビが告げた後、高田病院の海側に土煙が立った。

 全速力で逃げた。父と行政区長が駅前方面から走ってくるのに気付き、思わず立ち止まった。

 バキバキバキ。家が壊れる音で声がかき消される。「先に行ぐから!」。父たちとの距離が広がる。振り返ると、父の背後に津波が迫っているのが見えた。

 濁流は親子をのみ込んだが、和基さんは九死に一生を得た。

 駅通り周辺だけで、100人が犠牲になった。民生委員の高橋さん、町内会長の金野さん、行政区長の中村さん、そして和好さんも、帰らぬ人となった。

◎活動・安全、両立探る/民生委のルール化慎重

 東日本大震災では、要援護者の避難を支える人たちも犠牲になった。活動と自らの安全をどう両立させるのか。現場では模索が続く。

 消防団では、独自に退避ルールを定める動きが広まる。岩手、宮城両県の被災自治体を対象にした河北新報社の調査によると、震災前から実施も含めて27市町村が検討し、21市町村は既に運用を始めた。

 陸前高田市は、浸水区域内での避難誘導は行わず、津波到達予想時刻の10分前に、避難場所への退避を完了させる。

 市消防本部は「具体的に数字化すれば、活動しやすくなる。まずは団員たちの命を守り、その後の救援活動につなげる」と説明する。

 宮城県亘理町は震災後、退避完了のタイミングを津波到達予想時刻の30分前に決めた。9日の町防災訓練では、消防団員が新しいルールに基づき、住民の誘導と自分の退避行動を確認した。

 一人暮らしや寝たきりなどの利用者がいる在宅介護の現場にも、変化が出てきた。

 陸前高田市の社会福祉法人「高寿会」は、地震後に利用者の安否確認に向かった職員を含め、運営する訪問介護事業所で6人が犠牲になった。

 震災後、全利用者と家族に、災害時の安否確認の必要性を尋ね、対象者を絞った。訪問時に災害が発生した場合を想定し、担当ヘルパーは避難場所を下見し、避難ルート図を持ち歩く。介助の個人差に応じて、周辺住民への支援要請や職員の応援態勢も整えた。

 一方、民生委員はいまだ、災害発生時の対応に苦慮する。

 陸前高田市の民生委員金野幸男さん(66)は本震直後、自転車で平時から見守っている一人暮らしのお年寄りらの家々を回り、安否確認とともに避難を呼び掛けた。

 二十数軒のうち、十数軒訪ねたころだった。消防団員の叫び声で津波が目前に迫っていることに気付き、慌てて高台に駆け上がった。「残念だが、一人では限界がある」と唇をかむ。

 NPO法人「環境防災総合政策研究機構」(理事長・河田恵昭関西大教授)は震災後、宮古市田老地区の民生委員を対象に、災害時の対応を調査した。

 自力で動けない要援護者を2人以上抱えていた人が3割を超えた。自由回答には「避難すべき高齢者がまだいた」「説得していたら、自分も津波にのまれていた」などの記述があった。

 民生委員はそもそも、福祉が必要な住民の相談や、行政との橋渡しが主な役目。災害発生時の活動を前提にしていない。

 このため、自治体は民生委員の退避ルールづくりについては慎重だ。石巻市福祉総務課は「避難支援まで担わせることには議論がある。ルールを決めることで義務感が生じ、逆に犠牲が増えかねない」と説明する。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150207_10.html