1995年の阪神大震災で、倒壊家屋などから被災者を救出したのは近隣住民だった。東日本大震災でも、要援護者の避難に「ご近所さん」が力を発揮した地域がある。

 旧北上川沿いの石巻市八幡町地区。あの日、激しい揺れが収まると、無職斎藤秀樹さん(45)は母(75)と2人で、寝たきりの祖母(96)、脳梗塞で体が不自由な父(76)を避難させようとした。

 「自分と高齢の母だけで、祖母と父を移動させられるだろうか」。準備をしながら、ふと思った。その時、玄関に人影が見えた。近所の男性だった。「津波警報だ。一緒に逃げっぺし」。即座に「お願いします」と頼んだ。

 男性が祖母の車椅子を押した。目指したのは約180メートル先の湊小。斎藤さんは、衣類や祖母のおむつを詰め込んだ手提げ袋を両手両脇に抱え、後に続いた。

 道路は渋滞し、歩道も混雑していた。家を出てすぐに一緒になった知り合いの消防団員や同級生が父母に付き添ってくれた。

 午後3時すぎに湊小に到着。その30分後、濁流が地域を襲った。

 男性は、市が町内会ごとにつくった「防災ネットワーク」の地域の担当者だった。安否確認と避難の支援を担う。要援護者の情報を共有し、要援護者1人に担当者2人が配置されている。

 「日中は仕事で不在の家が多い」「今後も高齢化が進む」。2004年に地区の防災ネットが発足した時、町内会役員と民生委員らの間で、人手不足が問題となった。

 援護対象を、寝たきりなどで避難に介助が必要な人に絞り込むことで活路を見いだした。健康な高齢者には事情を説明し「みんなが助かるように、自分で逃げてほしい」と自力避難を促した。

 担当者は自営業者、退職者など、日中でも地域にいる人を中心に選んだ。これら防災ネットの実効性を高める工夫が震災で生きた。

 震災発生時に地区にいた援護対象者14人のうち、4人の家に担当者が駆け付けた。残りは2人の犠牲者を除き、家族や近所の住民らの手で避難誘導されたり、自宅2階に逃れたりして助かった。

 一方、市全体で防災ネットの援護対象者の犠牲は337人に上る。同じ仕組みでも、備えの力は地区によって異なる。

 八幡町は古くからの住宅街。春と秋に八幡神社のお祭りがあり、夏には盆踊りが開かれる。年1回の防災訓練のほか、震災の5年ほど前までは、裏山に桜の木を植える植樹会を開催。住民の交流や地域への愛着を深める機会を設けてきた。

 地区の民生委員蟻坂隆さん(63)は「犠牲が出たことは残念だが、住民がそれぞれの役割を果たして助けることができたお年寄りもいた。防災ネットは、普段からの近所付き合いという下地があって成り立つシステムだ」と語る。

◎助けの約束、命綱に/住民、街づくりにも要望

 大規模災害時、要援護者の避難は周囲の支えが欠かせない。もしもの時は助けてほしい−。日頃から、そう周囲に呼び掛けておくことが、いざという時の命綱になる。

 0~6歳の乳幼児71人が寝息を立てていた。気仙沼市潮見町の一景島保育所。東日本大震災の激震は、ちょうど昼寝の時間を襲った。

 女性ばかり12人の職員が手分けして、寝ぼけ眼の子どもを園庭に出した。あやしながら、気仙沼中央公民館に避難する準備を始めた時だった。

 「何を手伝えばいいですか」。男性の声が響いた。はす向かいにある水産加工会社「足利本店」から駆け付けた2人の社員だった。

 宮城県沖地震に備え、保育所は同社に年2回の総合避難訓練への参加を呼び掛けていた。訓練では毎回2人の社員が、避難の流れを確認。災害発生時にも手助けをする約束だった。

 同社社員の藤本考志さん(36)も以前、訓練に参加した一人。子どもたちと並んで避難しながら、はぐれる子どもがいないか、目を凝らした。段差に引っ掛かった乳母車を持ち上げたり、公民館で子どもを3階まで抱えて運んだり、進んで力仕事をした。

 約450人を収容した公民館は一時、津波で孤立。3日目までに全員が無事救助された。当時保育所長だった林小春さん(61)は「避難時、男性2人がいるだけで心強かった」と振り返る。

 復興の街づくりに、要援護者の視点を反映させようという動きもある。

 石巻市の大街道地区で1月、障害者や高齢者を自宅で介護する家族らが「たんぽぽ会」を結成した。会長の新田理恵さん(43)には重い意識障害の次女(14)がいる。震災で地域は大きな津波被害を受けた。自宅に居た夫を含め一家そろって車で約2キロ先の高台に避難した。動きだしが早かったため、渋滞には遭わなかった。

 ことし4月、自宅を改修し、仮設住宅から引っ越してきた。海から津波を遮るような物は何もない。車で逃げたいが、渋滞が心配だ。

 「スロープが付いた津波避難ビルやタワーを造ってほしい」「福祉避難所も必要だ」。月1回の会合では、震災時の各家族の避難行動を振り返りながら、行政への要望事項を練る。

 新田さんの町内会はまだ、明かりがともる住宅は少ない。本格的に地域に住民が戻ってきたら、たんぽぽ会と町内会が一緒に、災害弱者も含めた避難の課題を探るワークショップを開きたいと考えている。

 「要援護者と家族が、行政や地域に全て『お任せ』ではいけない」と新田さん。「要援護者が安心できる街は、誰もが安心できる街のはずだ。実現のために声を上げていきたい」と話す。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150207_08.html