東日本大震災を機に、津波からの早期避難を促す「率先避難」や「津波てんでんこ」といった備えの教えが、全国に広まった。言葉通りの行動を取って助かった命がある一方で、救いきれない命も実際にはあった。それらの教えに込められたメッセージを探る。(「いのちと地域を守る」取材班)

◎危機意識の醸成急務

 少しでも早く、高くが津波避難の鉄則だ。震災でも、それを実行できたか否かが生死を分けた。

 気仙沼市波路上地区の無職佐藤公典さん(72)と妻(72)が本震後、外出先から車で帰宅したのは午後3時前だった。道路を見ると、近くの気仙沼向洋高の生徒の行列が見えた。

 海とは逆方向に歩いていく。「みんな避難するのか。なら逃げよう」。10分後、妻と高校生の後を追った。

 同校は海から約500メートルの場所にある。部活動などで残っていた1、2年生の約170人は揺れが収まるとすぐに、約300メートル離れた地福寺への避難を始めた。教員は半分が付き添い、半分が校舎上階に残った。

 寺には5分ほどで着いた。大津波警報が出たことを知った。念のためJR気仙沼線の陸前階上駅に移動した。両側に民家が並ぶ通りをぞろぞろと高台に向かって歩く生徒たち。教諭の片岡剛さん(36)は最後尾を進んだ。

 片岡さんと同僚は、落ちた瓦の片付けなどをしている住民に「避難しましょう」と声を掛けた。反応が鈍かったため、先を急いだ。

 駅前の広場に到着し、腰を下ろした時だった。住民の男性の怒声が響いた。「何やってんだ。そこまで津波来てんだぞ」

 片岡さんが国道45号の様子を見に行くと、南側を津波が横切るのが見えた。「急げ!」。生徒の一群が一斉に駆けだした。国道45号を渡り、3階建ての階上中を目指した。

 気付いた人から真っ先に逃げる「率先避難」の有効性が震災後、注目を集めている。実践した釜石市の小中学生はほぼ全員が助かった上、「津波が来るぞ」「逃げるぞ」と叫びながら逃げる姿が、周囲の人に避難を促したからだ。

 気仙沼向洋高は、素早い動きだしで、生徒の命を守った。その半面、整然と歩いて逃げたこともあって、佐藤夫妻のように釣られて逃げた人はほとんどいなかった。

 地域の住民は避難の意識が希薄だった。「生徒の姿を見ても何も思わなかった」。津波が来たのを見て高台に避難したり、建物の2階に駆け上がったりして難を逃れた住民は、口をそろえる。

 率先避難は大騒ぎするほど、群集心理に働きかける効果が高い。教員と生徒の避難誘発効果は限定的だった。

 生徒たちが最初に避難した地福寺は1896年の明治三陸大津波で被害がなかった。地域では「寺まで逃げれば一安心」と信じられていた。特に寺の西側は津波被害を受けたことがない。

 津波の第1波は午後3時20分すぎ、地域を襲った。気仙沼向洋高の4階に達するほどの大津波が押し寄せ、地福寺は本堂の壁が突き破られた。生徒が避難に使った道路の周辺では、30人以上が犠牲になった。

◎「率先避難」の教え 自分の命、最優先で守れ/群馬大理工学研究院教授・片田敏孝さんに聞く

 東日本大震災で釜石市の小中学生は真っ先に避難し、約3000人のほぼ全員が無事だった。大勢の周辺住民の避難も促し、率先避難の成功例として知られる。市の防災・危機管理アドバイザーを務め、率先避難を含めた「避難3原則」を提唱してきた片田敏孝群馬大理工学研究院教授(災害社会工学)は「自分の命を最優先に守り抜くことが、結果として周りの多くの命を救う」と強調する。

 −3原則で「率先避難者たれ」と教えてきた。

 「非常時の人間は、逃げるという意思決定ができない状態になる。実際は違うのに正常だと一生懸命に思い込む心理が原因だ。何よりも自分の命を守るため、素早く避難を始める必要がある」

 「逃げるのは恥ずかしくないし、ひきょうでもない。人が逃げる姿は他人にとって最大の災害情報になる。誰かが動きだすことで周囲の不特定多数に危険であることが伝わり、釣られて逃げる効果を生む。つまり避難の引き金になる」

 −釜石の子どもたちは模範的だった。

 「地域を巻き込んだ防災教育を通じて『津波に一番詳しいのは中学生』との理解が浸透し、信頼されていたためだ。その中学生が慌てて逃げている様子が異常事態を悟らせ、緊迫感を高めた」

 「逆に津波への危機感や避難意識が地域に備わっていない場合、率先避難の波及効果は低い。率先避難者をつくる取り組みが全国に広がっている。南海トラフ巨大地震の脅威が迫る西日本は、震災で津波の怖さを目の当たりにしただけに、実効性が期待できる」

 −率先避難と要援護者支援は両立するか。

 「本当に難しい問題だ。動けるのに逃げないお年寄りがいて、それを救助に駆け付けて犠牲が拡大する恐れがある。率先避難を徹底して可能な限り自力避難を促し、援護の対象を減らすことが議論と対策の出発点になる」

 「要援護者の避難は家族で解決できる場合もある。誰もが命を守ることに主体的になり、最善を尽くす姿勢が大前提だ」

 −釜石の子どもにも「君たちは助ける側だ」と教えていた。

 「八戸市内で本震の揺れに耐えながら、釜石の子どもたちを思い出し『行くな』と思った。リヤカーでお年寄りを運ぶ訓練をしていたが、確実に津波が来る状況で、子どもがリヤカーを引く姿を想像して怖かった。訓練に目を細めていた自分を後悔した」

 「実際はリヤカーを引く余裕はなく、率先避難してくれた。自分の命を守ることと誰かを助ける行為、どちらを優先するべきかはしゃくし定規に扱えない。消防団員や民生委員とも共通する割り切れない問題だ。それでも、自分の命を守る権利は決して誰にも否定できないと考えている」

<かただ・としたか>岐阜県出身。豊橋技術科学大大学院博士課程修了。専門は災害社会工学。群馬大広域首都圏防災研究センター長。釜石市や三重県尾鷲市など全国各地の自治体で防災、危機管理のアドバイザーを務める。52歳。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150309_03.html