東日本大震災で、岩手県山田町の中心部2カ所から火の手が上がったのは、街が約8メートルの津波に襲われた直後だった。消防団員たちの目の前で、瞬く間に燃え広がった。

 町消防団第7分団の甲斐谷定貴さん(41)は津波から避難し、高台にある山田八幡宮にいた。午後4時ごろ、担当する八幡町の一角で白い煙が上るのを見た。

 「火事だ。消しに行かないと」。道路には津波で流された車や船、養殖いかだ、住宅が折り重なっている。ポンプ車は津波を逃れたが、運転は諦めた。居合わせた団員と、ホースやはしごを背負って駆けだした。途中で6、7人の団員が加わった。がれきを乗り越えながら約200メートル移動し、出火した住宅に近づいた。

 一帯には津波が押し寄せ、防火水槽や消火栓はがれきの下だ。浸水域外の消火栓を探したが、断水のためか水はすぐに止まった。消防署のポンプ車が到着した。近くの公園の防火水槽から、ポンプ車を経由してホースをつなぎ、放水を始めた。

 甲斐谷さんは、違和感を覚えた。いつもの火災現場とは違う。「辺り一面、燃える物しかない」。血の気が引いた。延焼を防ぐはずの道路が壊れた建材などで埋め尽くされ、炎が四方八方に燃え移っている。放水できるホースは2本。しかも、ポンプ車から離れると水圧が弱く、水勢は頼りない。

 「バン」「バン」。至近距離で車が次々と爆発した。顔も体もすすで真っ黒になりながら、火を噴く車に水を掛けた。延焼を食い止めようと走り回る間に、何度もくぎを踏み抜いた。

 防火水槽は1時間ほどで空になり、小さな用水路から水を引いた。

 炎が町役場に迫ったため、先回りして放水した。庁舎前の防火水槽を使い切り、飲料水用の40トンタンクにも手を付けたが、すぐに底を突いた。日付が変わるころ、消火活動は事実上終了した。

 団員たちは延焼を免れた町役場で、燃え続ける町を眺めることしかできなかった。団員の佐藤吉孝さん(52)は「本当の火の海だった。夜なのに明るかった」と振り返る。

 翌朝、爆音を響かせて自衛隊の大型ヘリが飛来し、大量の海水を投下した。中心部の火災はおおむね鎮火したが、東京ドーム3.5個分の約16ヘクタールが焼き尽くされた。

◎長距離送水、必要に/高台への水槽設置急務

 岩手県山田町中心部が東日本大震災の津波火災に襲われた同時刻、船越半島の田の浜地区でも3カ所で出火した。町消防団第2分団は、水の確保に追われた。

 停電で水道施設が止まったため、消火栓は断水した。防火水槽の水もすぐに使い果たした。団員らは用水路をせき止めて30分かけて水をため、5分間放水する作業を繰り返したが、火勢は衰えなかった。

 「バチバチバチッ」。炎が山林に燃え移り、住民約100人が避難した高台の建物に迫った。周囲の下草を刈ったが、延焼を食い止められない。団員のアマチュア無線で助けを求め、火の手が建物に達する前に、住民たちは自衛隊のヘリで脱出した。

 不眠不休の消火活動を3日間続け、津波被害を免れた住宅街への大規模な延焼は回避した。分団長の糠盛(ぬかもり)祐一さん(50)は「十分な水があれば山林火災も防げた、と何度思ったことか」と悔しがる。

 震災の津波火災は、消火活動の限界を浮き彫りにした。一般的な防火水槽の水量は、住宅1軒の火災を消し止めるのに必要な40トン。がれき伝いに燃え広がる津波火災には、無力に等しい。

 加えて、津波浸水域での移動、津波襲来の危険性、避難誘導や救助救出に伴う人員不足などの困難も立ちはだかる。

 「浸水域での消火は不可能だ。住民、消防士らの安全を確保した上で、無事だった市街地や避難所への延焼阻止を優先するしかない」。日本火災学会の東日本大震災調査委員長を務めた関沢愛東京理科大教授(都市・建築防災)は強調する。

 関沢教授は「延焼を防ぐにはとにかく水が必要だ。消火栓は断水する危険がある」と指摘。(1)津波浸水域外の川、池からの取水も想定した長距離送水体制の整備(2)高台への500トン以上の耐震性大型防火水槽の設置-などの対策を提案する。

 山田町は震災復興計画に耐震性防火水槽の整備を盛り込んだが、具体化はこれからだ。危機管理室の担当者は「かさ上げ後の街づくりの中で、防火水槽の新設や消防署の高台移転を進め、津波時の出火や延焼を少しでも防ぎたい」と話す。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150309_09.html