東日本大震災で、気仙沼湾は火の海と化した。津波により破壊された燃油タンクから大量の重油が流出し、火災を拡大させた。

 宮城県気仙沼市魚町の旅館「大鍋屋」の代表熊谷浩典さん(45)は地震直後、津波から釣り船を守ろうと湾内に船を出した。湾の奥で第1波をかわしたとき、海の異変にがくぜんとした。

 一面真っ黒だった。「津波が押し寄せているのに、海面はのっぺりとして波しぶきさえ上がらない」。ぶ厚い油の層が広がり、異臭が鼻を突く。

 湾の入り口には漁船の燃料となる重油やガソリンを貯蔵する燃油タンク群がある。そこから油とともに壊れたタンクが海を漂い、流されてきた。黒い煙が立ち上っているのが船から見える。

 熊谷さんはがれきにつかまっていた男性1人を救助し、湾内で様子を見守った。湾口西岸で上がった火の手は西風にあおられて対岸に燃え移り、岸に沿って走るように広がっていった。

 日が落ちると、地獄絵図がくっきりと浮かび上がった。「湾内は炎上しながら漂うがれきが、数十カ所で渦を巻いていた。炎の高さは3~4メートル。がれきが近づいただけで油の浮いた海面に火が走った」

 火煙に包まれ、周囲にいた数隻も右往左往していた。風向きが東風に変わり、東岸から炎が帯状になって迫ってくる。背筋が凍り付いた。

 「船ごと焼けてしまうのか」。熊谷さんは覚悟を決めてかじを操った。何度も進む方向を変えながら、炎と漂流物をかいくぐり、最後は浸水した岸壁に、へさきから飛び降りた。約5時間、炎の海での決死の彷徨(ほうこう)だった。

 気仙沼市によると、震災の津波で南気仙沼地区にあったタンク23基のうち22基(容量40~3000キロリットル)が破壊された。流出した油は重油を中心に軽油やガソリンなど推定1万1500キロリットル。25メートルプールに換算すれば32杯分になる。

 波間を漂ったがれきは長時間燃え続け、風や津波に乗って広がり、離島・大島にも流れ着く大火災を引き起こした。

 なぜ海面を漂うがれきが燃え続けたのか。震災後に複数の研究機関が、木材が重油を吸って、ろうそくの芯の役割を果たした可能性を指摘している。

 火の手が海を伝って、広範囲に燃え広がる。気仙沼湾の津波火災は、燃油タンクが集中する臨海工業地帯に潜む災害リスクをあらわにした。

◎タンク構造強固に/臨海地帯で対策見直し

 気仙沼市は、津波で破壊された燃油タンクの再建に着手する。国の復興事業を活用し、南気仙沼地区にタンク8基(総容量7000キロリットル)を建設する。事業費31億5000万円で、2016年秋の完成を見込む。

 構造上、地震と津波に強く、手本となるタンクがある。仙台市宮城野区の仙台港は、東日本大震災で7メートルを超す津波に襲われた。給水タンク2基が水没し、うち1基は壁にコンテナが衝突したが、いずれもタンク本体は大きな損壊を免れた。

 2基ともコンクリート壁にピアノ線を埋め込んで強度を増すプレストレストコンクリート(PC)構造だった。鋼板製が主流の燃油タンクに対し、強い水圧がかかる大容量の給水タンクに採用されている。

 「東日本大震災級の津波に流されることなく、漂流物衝突の衝撃にも耐えられる」と、気仙沼市の担当者はPC工法に注目し、燃油タンクに採用する計画だ。

 津波で臨海地帯の燃油タンクが破壊される危険性は震災前から指摘されていたが、対策は事実上取られてこなかった。

 消防庁は震災後、岩手、宮城両県の燃油タンクを対象に浸水の深さと被害程度の関係を調べた。浸水深が「2.5~5.0メートル」で配管が壊れ「5.0メートル以上」になるとタンク本体にも被害が出ていたことが分かった。

 データを基にタンクの津波被害シミュレーションを作成し、石油コンビナートがある33道府県に防災計画を見直すよう指示した。

 震災では配管が壊れただけでも油が流出した。消防庁は、配管からの燃油流出を防ぐ緊急遮断弁の設置義務を容量1万キロリットル以上から1000キロリットル以上に対象範囲を広げた。

 横浜国立大の座間信作客員教授(地震防災学)は「東日本大震災級の津波が押し寄せればタンク本体も無事では済まない。臨海工業地帯では、石油やガスの業界全体を巻き込んで、住宅エリアへの影響を少なくする仕組みを早急に検討しなくてはならない」と指摘している。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150309_08.html