17日で阪神大震災から25年の歳月が巡る。報道する側と、取材される側の遺族や震災の日に生まれた青年に、四半世紀の思いや震災報道への注文を聞いた。
(聞き手は報道部・高橋鉄男)

◎歴史にしたらあかん 次男を失った崔敏夫さん(78)=神戸市須磨区

 1月17日が近づくと、今も心が苦しくなる。あの日を鮮明に覚えている。

 午前5時46分、ドーンという音とともに強烈な縦揺れ、横揺れに襲われた。収まると目の前は真っ暗。1階で寝ていた次男秀光(スグァン)=当時(20)=の名前を呼んだが、返事がない。がれきを取り除き、数時間後にやっと次男を見つけた。

 顔の左半分が紫色に染まっていたが、右半分はきれいで、寝ているよう。こんなに涙があふれるものかというほど泣いた。

 ものすごく悔いの残る一言がある。成人式に出席するため帰省していた次男は16日に東京の大学に戻る予定だった。風邪気味で、私は「しんどかったら(帰りを)1日延ばしたらええんちゃうか」と声を掛けた。

 その夜、私と妻と三男が2階に、次男は風邪がうつらないように1階で寝た。優しくて勉強ができて、大学の先生になるのが夢だった。

 息子のため、命の大切さや震災の怖さを知ってもらおうと報道機関の取材を受け続けている。東日本大震災を目の当たりにし、「もっと伝えなあかん」と地元語り部グループのメンバーに正式に加わった。

 風化は進む。地元の連合自治会が主催する追悼式は震災20年を最後にやめてしまった。語り継ぎの重要性は増している。

 地元紙には、25年前を出発点に伝え続ける使命がある。分かってもらうのはしんどいが、災害の時に1人でも多く助けられるよう若い子への継承の場を提供してほしい。「20年、25年なんて、区切りじゃない。歴史にしたらあかん」

◎知らない世代と共有 震災の日に生まれた中村翼さん(24)=神戸市兵庫区

 1月17日の午後6時21分、神戸市で生まれた。

 「奇跡の子」と誕生日のたびに取材を受けた。小学5年の時に岐阜県に引っ越し、5年後に神戸に戻ってからも取材がきた。

 当時の記憶はなく、何も答えられない。たまたまその日に生まれただけ。「家族を失った人がテレビを見ていたら、いい気がしないんじゃないか」。苦しい葛藤を抱え込んだ。

 神戸学院大に進学し、防災・社会貢献ユニット(現・現代社会学部社会防災学科)で震災や防災教育を勉強した。大学4年の時、子どもたちに出前授業をする前に両親から生まれた時の状況を聞いた。

 未曽有の揺れに、おなかの大きかった母に覆いかぶさった父。避難所では見ず知らずの方が母に毛布を貸してくれた。母が出血して車で病院に向かう途中、警察官が「歩道を走れ」と助けてくれた-。

 出前授業で話すと、子どもたちから「自分も人を守りたい」と感想文が届いた。「震災を知る世代と知らない世代を橋渡ししよう」。大学卒業前に地元の語り部グループに参加した。

 平成から令和に変わり、自分の職場でも震災は話題にならない。でも、学校で語り部活動をすると子どもたちは素直に吸収してくれる。子どもも新聞を読む時代。節目じゃなくても、小さくても震災報道を続けてほしい。知らない世代に共感を広げる工夫が必要だ。

 ずっと誕生日を祝ってもらうのがつらかった。だが両親の話を聞いて、誇らしい日に変わった。あの頃の葛藤は、もうない。

◎地元紙が風化の防波堤に 神戸新聞社報道部長・長沼隆之さん(52)

 四半世紀たち、経験や教訓を次代に受け継ぐ大切さをかみしめている。

 2015年の震災20年の時は、当時の混乱を知る現場記者がいた。今はほぼ全員知らない。震災20年の時に社員向け震災勉強会を毎月実施した経緯もあり、「もう1回やろう」と昨年9月に復活させた。

 震災は15年で区画整理が終わり、20年で復興に区切りがついた。神戸市民の4割超が震災を知らないと言われるようになった。

 だが25年たっても震災は現在進行形だ。遺族の心の痛みは変わらず、全壊した私の実家も最近まで二重ローンを払い続けた。震災関連死、仮設住宅の孤独死など阪神淡路でクローズアップされた問題が繰り返されるたび「震災は終わっていない」と痛感する。

 南海トラフ地震など次の災害に教訓をつなぐためにも、連載企画「災間を生きる」などを展開している。

 神戸新聞社は「命を守る」が一貫したテーマ。なぜ6434人が亡くならなければならなかったのか。教訓が生かされたか。今も毎月、防災の特集ページを設け、遺族一人一人を訪ねて取材する。東日本大震災や熊本地震の被災地も粘り強く追い掛ける。

 「読みたい記事とギャップがある」と言われても、報道しなければ伝わらなくなる。地元紙が風化の防波堤にならなければいけないし、そうありたい。そもそもベースは他のニュースと同じ地域密着だ。

 東日本大震災も息の長い報道が求められる。最後の1人が復旧、復興するまで見届けるのが地元紙。終わらせるわけにはいかない。