6434人が犠牲になった阪神大震災は17日で発生から25年となる。震災を機に復興まちづくりや防災研究、遺児支援に取り組み、現在は東日本大震災の被災地を支える人がいる。阪神から東日本へ。地域と地域、人と人をつなぎ、再生の力になろうと奮闘する姿を追った。

■倒壊家屋を調査

 東日本大震災を語り継ぐ人材をどう育てるか。岩手大地域防災研究センター教授の福留邦洋さん(49)が自らに問い掛けながら、実践を重ねる。

 釜石市公認の語り部制度「大震災かまいしの伝承者」のアドバイザーを務める。「釜石を代表し、来訪者に被害と復興を伝える。重みのある役割だ」と力を込める。

 故郷の神戸市を襲った阪神大震災が復興・防災研究の原点だ。当時は東京学芸大大学院1年生。高校の地理教師を目指していた。

 実家の被害はほとんどなかったが、祖父母宅が全壊した。通った高校周辺は1階がつぶれた住宅が並び、見慣れた光景は一変した。

 「なぜ、古くて危険な住宅が多く残っていたのか」。疑問に向き合うため修士論文のテーマを変えた。法務局に2カ月通い、被害家屋約700棟の登記簿を調べた。老朽化した借家の全壊率が高いことが分かり、持ち家との被害格差を浮き彫りにした。

■常に現場を重視

 2002年、神戸の「人と防災未来センター」専任研究員になった。04年の新潟県中越地震に派遣されるなどし、東日本大震災後は東北工大を経て17年に岩手大へ。「地域に入り、人とやりとりする中で課題や解決策を考える」。常に現場を大事にしている。

 昨年3月に完成した釜石市の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」の展示内容にも関わった。立地する鵜住居地区では震災時、小中学生約570人が無事避難して身を守った。

 「学校と地域が一体となって取り組み、あの日に生きた防災教育こそ未来に伝えるべき展示の核だ」

 当時の避難ルートを説明するパネルに距離と標高を盛り込むようアドバイスした。平地と坂道では同じ100メートルを走る意味合いが全く異なる。その感覚を伝える工夫だった。

■追悼集会で衝撃

 昨年1月17日、神戸であった追悼イベントでショックを受けた。「1.17って何?」。母親に尋ねた女児の言葉が耳に残る。時間の経過とともに次世代に伝承する困難さ、重要さは増す。「同じような時期が東日本の被災地でも遠からず来る」と憂う。

 兵庫県は地震発生10年に合わせ、復興の検証を大々的に行った。東日本ではそうした動きが鈍く映る。復興の成果を総括して経験や教訓、反省点を整理し、次の大災害に備えて継承する-。阪神からの流れが東日本で滞らないか、不安は尽きない。

 南海トラフ巨大地震が起きれば、間違いなく東北の被災地が参考事例になる。「復興に関して何が学べるのか示すことが、これまでの支援への恩返しになる」

 防災集団移転や復興基金の在り方などが今後の研究テーマだ。復興とは何か。究極の問いへの答えを探し、今後も現場主義を貫く。
(報道部・東野滋)