6434人が犠牲になった阪神大震災は17日で発生から25年となる。震災を機に復興まちづくりや防災研究、遺児支援に取り組み、現在は東日本大震災の被災地を支える人がいる。阪神から東日本へ。地域と地域、人と人をつなぎ、再生の力になろうと奮闘する姿を追った。

■多くの住民転出

 「災害が起こると混乱を生み、被災者の声が反映されにくくなる。普段の地域づくりをしっかりしないと同じ事が繰り返される」

 神戸市長田区のNPO法人「まち・コミュニケーション」(まち・コミ)の代表理事宮定(みやさだ)章さん(44)が警鐘を鳴らす。

 専修大(東京)の客員研究員で専門は都市計画。阪神大震災では長田区の御蔵(みくら)地区、東日本大震災では石巻市雄勝町で被災地支援に携わってきた。

 ともに地震で甚大な被害を受けた。火災被害が大きかった御蔵地区は土地区画整理、甚大な津波被害を受けた雄勝町は高台移転の復興事業が進められたが、多くの住民が住み慣れた地域を離れざるを得なかった状況が似ていた。

 「被災者一人一人が本当に納得できる復興になっているだろうか」。旧来の復興まちづくりの在り方に疑問を投げ掛ける。

■問題の本質同じ

 出身は兵庫県西宮市。御蔵地区に通い始めたのは2000年3月、大阪大大学院で建築を学んでいた頃だ。

 御蔵地区では一人でも多くの住民が地区内に戻れるようにと、「まち・コミ」がコーディネートした共同再建住宅「みくら5」が完成したばかり。住民参加型のプロセスに魅力を感じた。

 当時の御蔵地区は昔ながらの住宅や工場が混在する下町の姿が消え、土地区画整理事業が進む傍ら空き地が目立っていた。

 まち・コミが10年に実施した調査で、震災前の住民のうち地区内で暮らし続けている人はわずか27%にとどまっていることが分かった。1995年9月のアンケートでは、71%の住民が地区内での再建を希望していたにもかかわらず、復興の過程で多くの住民が転出を余儀なくされた。

 新しい住民も入ったが、地元商店で総菜を買うわけでもなく、地域活動に積極的な層でもなかった。「従前の町のコミュニティーは失われた。東日本大震災の被災地と問題の本質は同じ」と嘆く。

■賛否示せぬ人も

 雄勝町には2012年3月から通っている。市は高台移転を進めようとしたが、異論が出ていた。「何か知見を生かせないか」。車に寝袋を積んで現地に入り、御蔵地区の経験を伝えつつ住民の話に耳を傾け続けた。

 漁村の狭いコミュニティーでは人間関係が濃密だ。会合では空気を読んで賛成、反対を自分の意思で示せず、本音を胸の内にしまい込む人もいた。

 「本来は一人一人に選択の権利や自由があるはず。行政が定めた復興方針に対し、形だけの住民合意を得る復興のシステムになってはいないか」。神戸でも目の前の生活に精いっぱいで会議に出られない住民がいた。

 災害が起き、急に「まちづくりを」と言われても、さまざまな権利を調整するのは難しい。「被災前から合意形成できるシステムを地域でつくることが大事」との思いが、「次」に備えて二つの災害の経験を伝える原動力になっている。
(報道部・鈴木拓也)