◎小野有道さん(気仙沼市)から光子さんへ

 大きな揺れが収まった直後、勤め先だった気仙沼市本吉総合支所から自宅に電話をかけた。電話口の長女洋美さん(37)とのやりとりを、今も忘れられない。
 「お母さんに代わるからね」と洋美さん。「今はいい。とにかく、近所の人の言うこと聞いて行動しなさい」と電話を切った。
 直後、洋美さんは有道さんの母(故人)と先に逃げて助かったが、光子さんは逃げ遅れて津波にのまれた。自宅は流失。光子さんの遺体は今も見つからない。
 今年1月にできた新居で長男泰堂(やすたか)さん(34)の家族と一緒に暮らす。毎日、仏壇に手を合わせたり、一人きりで家にいたりする時、ふと思う。
 「あの時、電話に出てもらって『すぐに逃げろ』と言ってやればよかった。ずっと後悔してるんだよ」。8年3カ月、無念の思いを胸に生きてきた。
 仙台市の建設会社に勤めていた時、美容師だった光子さんと知り合った。旧本吉町職員に転職した直後の1980年に結婚。2階から大谷海岸が見える海の近くで暮らし始めた。
 米沢市出身の光子さんは最初、言葉の違いに戸惑った。海と縁がなかったせいか、魚を料理するのも苦手だった。
 「とにかく努力家。性格も明るいから、すぐに周囲に溶け込んだ」という。近所からもらった魚も、さばけるようになった。
 光子さんの手料理を食べながらの毎日の晩酌が楽しみだった。サバの煮付けは絶品だった。自然と酒が進み、ついつい焼酎を飲み過ぎることも多かった。
 2人の子どもが育ち、夫婦だけの時間が増えてからは毎週末、大船渡市や一関市の日帰り温泉に通った。
 近所で仲良しだった4組の夫婦と開く恒例の飲み会で、楽しそうにはしゃいでいた妻の姿も懐かしい。「結局、(光子さんも含め)友人夫婦のうち4人が亡くなった。あそこまでの津波は想像できなかった」
 洋美さんは気仙沼市で看護師、泰堂さんは宮城県南三陸町の職員として被災地の復興に尽くす。昨年10月には泰堂さんに長男光稀(こうき)君が生まれた。有道さん夫妻にとっての初孫だ。
 「子どもたちは立派に育った。孫はやっぱりかわいいよ。結婚してあっという間の30年。平々凡々だったかもしれないけど、楽しかったし、幸せだった。感謝してる」

◎あのとき何が

 気仙沼市本吉町の会社員で、元気仙沼市職員の小野有道(なおみち)さん(63)は東日本大震災で妻光子さん=当時(53)=を失った。大谷海岸の近くにあった自宅から逃げる途中で、津波に巻き込まれたとみられる。