◎高橋和芳さん(松江市)から直実さん、佐予子さん、寛名ちゃん、兵治さんへ

 松江市の松江南高1年高橋和芳(わか)さん(15)は東日本大震災で父直実さん(53)、母佐予子さん(36)、妹寛名(かんな)ちゃん(3)、祖父兵治(ひょうじ)さん(83)=いずれも当時=を亡くした。宮城県亘理町荒浜にあった自宅にいた祖父を父、母が妹を連れて助けに戻り、4人とも津波にのまれたとみられる。

 震災当時は宮城県亘理町荒浜小の1年生だった。先生らと向かった避難先で、友達が保護者に引き取られていく。「家族は別の避難所にいる。だから私を迎えに来られないんだ」。ぽつんと残った自分に言い聞かせた。

 数日後、父が遺体で見つかったと知らされて号泣した。母、妹、祖父の遺体も数カ月のうちに発見された。同居していた家族全員を一瞬で失った。

 2011年4月初旬、松江市の母方の祖父母に引き取られた。母たちは生きているとまだ信じていた。祖父母から家族の死を告げられた。泣いたのか、叫んだのか。その時の記憶はない。

 学校で「さようなら」とみんなにあいさつした時、揺れに襲われた。屋上で1度、身を乗り出して周囲を眺めた。「こんなことが起きるなんて」。一帯をのみ込む津波に放心した。

 父は瓦職人。作業現場を訪れた記憶がかすかにある。仕事に打ち込む姿が印象的だった。

 母は自宅の工房で酵母パンを作り、ネットで販売していた。レーズンパンもクッキーもおいしかった。ミシンが得意。人形の洋服を作ってくれた。

 寛名はとてもかわいい妹だった。「私の後ろをいつも付いて歩いていました」。人形遊びが大好きだった。

 祖父はかつて瓦製造に携わっていた。静かで穏やか。手先が器用だった。一緒に塗り絵をしたのが思い出だ。

 震災から8年4カ月。亘理より松江で過ごした年月が長くなった。災害が少なく、周囲で震災が話題になることはほとんどない。それでも「津波」という言葉には心が動く。自分が被災者であることを思い出す。

 「平穏に過ごすことができた。何もかもなくなった亘理で暮らしていたら駄目だったかもしれない」。育ててくれた祖父母への感謝は尽きない。

 英語に打ち込んでいる。小学6年の時にあしなが育英会の招待で米ニューヨークでホームステイした。翌年はフィリピンへ。海外ボランティアに興味がある。

 今の自分と同じ高校時代の母を想像する。成績優秀でインターハイのボート選手だったと聞いている。「頑張っている姿を見守って」。母に負けないよう、充実した日々を過ごすつもりだ。