◎佐藤清吾さん(石巻市)から由美子さん、嘉宗君へ

■あのとき何が
 宮城県石巻市の佐藤清吾さん(77)は東日本大震災で、一緒に暮らしていた妻由美子さん=当時(58)=と孫嘉宗(よしむね)君=当時(7)=を亡くした。自宅近くの高台にあった佐藤さんの実家に避難後、津波に巻き込まれたとみられる。

 地震の揺れが襲った時、由美子さんと嘉宗君と共に同市北上町十三浜大室の自宅にいた。目の前には追波湾が広がる。「大きな津波が来ると直感した」

 すぐさま3人で自宅から200メートルほど山手にある実家に向かった。1896年の明治三陸地震後、津波が到達しなかった場所に建てたと父親から聞いていた。

 長年漁業を営み、浜の様子が気になった。出がけに由美子さんへ、嘉宗君や親戚の世話をするよう掛けた言葉が最後となった。

 年齢は11歳離れていたが頼もしい存在だった。地区に伝わる大室南部神楽や親類の冠婚葬祭など、いつも先頭に立って準備をしてくれた。

 「面倒見が良くってね。しっかりしていて、いっつも怒られていたな」

 自宅1階の二つの部屋は、趣味で集めた歴史書や事典、古文書で埋め尽くされていた。「あなたが死んでからじゃ大変だから片付けてちょうだい」。言われるたびに笑って受け流していた。今となっては幸せな瞬間だったと感じている。

 嘉宗君は初孫だった。浜育ちで刺し身が大好物。台所でしょうゆ皿と箸を持って、由美子さんが魚をさばくそばから切り身を頬張った。カツオ、マグロ、イカ…。「なんぼでも食ってたな。ただただ、かわいくてしようがなかった」

 同じ年頃の他の子どもと比べても体格が良かった。3歳の時、30キロの米袋を引っ張って遊んでいたのが今でも目に浮かぶ。

 津波が襲った実家は土台だけが残っていた。雪が降りしきる中、声の限り名前を叫んだ。返ってくるのはこだまだけ。がれきをかき分け歩き回ったが、2人は見つからなかった。

 震災前は炊事も洗濯もしたことがなかった。台所に立って食事を作っていても洗濯物を干していても、由美子さんを思い出す。喪失感が癒えることはない。

 同じ大室地区に自宅を再建し、長女と2人で暮らす。一人息子の嘉宗君を亡くした長女は震災後、体調の優れない日々が続く。

 「亡くなった2人に弱り切った姿だけは見せたくない。向こうで悲しい思いをさせないように、健康を気遣って娘と共に生きていきたい」(石巻総局・樋渡慎弥)