◎中村節子さん(仙台市太白区)から大山貞子さんへ

■あのとき何が
 尚絅学院大(名取市)の進路就職課長中村節子さん(62)=仙台市太白区=は、東日本大震災で母大山貞子さん=不明当時(73)=を失った。岩手県山田町で長年営んでいた「大山旅館」にいて、津波に巻き込まれたとみられる。

 社交的で働き者の母だった。三陸海岸に臨む山田町の大山旅館で宿泊客をもてなし、住民と語らう「第二の人生」を何より楽しんでいた。

 震災から約1週間後に山田町にたどり着くと、旅館はJR陸中山田駅近くまで流され、鉄筋一部3階の1階がつぶれていた。旅館で避難を促していたという貞子さんの姿はなかった。

 「働きづめで脚を痛めていたから避難できなかったのかもしれない。生きていてほしかった」。今も行方は分からない。

 貞子さんは石巻市河南町で生まれ育ち、市内で道夫さんと結婚した。

 道夫さんの家業は三陸沖で操業するカツオ船にイワシを売る餌問屋。貞子さんは3人の子どもを育てながら、夏は餌を買い求める客たちを自宅に泊めて朝昼晩と食事を出し、冬はカキの袋詰めに精を出した。

 子どもが独立した1985年ごろ。貞子さんは餌問屋の岩手の拠点として75年から営んでいた大山旅館に夫婦で住み込み、夫を亡くした後も切り盛りした。

 「大変気さくで話好きなおかみさん」。地元でも評判だった。カツオ船の関係者や釣り客、夏休みの海水浴シーズンは家族連れでにぎわった。「節子、今日は25人も泊まったよ」。客が大入りになると電話口で声を弾ませた。

 「なせば成る、なさねばならぬ、何事も」とよく口にした。今思うと、働き者の母は自分に言い聞かせていたのかもしれない。

 中村さんは尚絅学院大で就職支援を担当する。子どもたちの成長を一番喜んでくれた母を思い「若者を支援することが私の震災復興」と決意。被災した学生と悲しみを共有し、親身になって応援している。

 仙台市で8月に開かれた全国私立大就職指導研究会シンポジウムで、コーディネーターを務めた中村さんは聴衆に語り掛けた。

 「何年たっても家族や友人を失った心は癒えません。被災地の出来事が風化しないように、未来を託す若者が活躍できるように、協力をお願いします」

 それが母への供養になると信じている。
(報道部・高橋鉄男)