ひな祭り、お彼岸と続く春は、和菓子好き、あんこ好きにはたまらない季節。「鬼のかく乱の後は精を付けなくちゃ(笑)」と、インフルエンザが治まったばかりの私を画伯が連れていってくれたのは、太白区長町駅前の蛸(たこ)屋さんだ。
 和菓子屋さんなのに蛸屋…? そして伝統の名菓「全勝餅」とは…?ともうろうとしていた頭に、店到着と同時にいやすこ電流がピピッと流れる。迎えてくださったのは蛸屋のご主人、蛸秀樹さん(68)。
 JR長町駅のほぼ向かい。「目の前の通りはかつての奥州街道。昔から奥州街道沿いにあったらしいですよ」。ご主人は、奥州街道沿いにタコを描いた大きなのぼりを掲げた蛸屋さんの江戸時代の想像図を見せてくれた。タコのマークはインパクト大だ。
 創業は江戸時代の中期だそう。「元禄11(1698)年創業といわれてきましたが、確証はないんですよ。ただ伝え聞くところでは、お城に落雁(らくがん)などを納めていたらしいです」とにっこり。ご主人は300年以上続く御菓子司の11代目に当たるというのだからすごい。
 全勝餅は、明治時代に8代目の曽祖父が作った。「仙台には当時、陸軍第2師団があって、日露戦争に向かう兵隊さんたちに頑張ってくださいと、全勝餅を作って配ったことが日本中で有名になったそうです」
 日露戦争に勝利し、全勝餅も大人気。蛸屋さんは仙台で3店舗になったそうで、その時のれん分けされたのが今の蛸屋さん。東京・日本橋にも出店するほどだった。
 と、話が一段落したところで目の前に全勝餅の登場。淡いピンクと白の一対の餅は、想像していた強そうな餅ではなく、何とも穏やかで気品がある。早速ぱくっ。口に入れると軟らかい餅の中から、ふわっとしてまろやかなあんこ。なんて優しいんだろうと癒やしの一口を実感。
 ピンク色の餅の中が白インゲン豆の白あんで、白い餅の中がアズキのこしあんだ。かつて、兵隊さんたちを癒やした味でもあるのだ。
 朝5時から作り始めて日に2、3回餅を仕上げるというご主人は、菓子職人として30年以上。「あんこ練りが好きでね」と優しい笑顔をさらに崩す。蛸屋さんの和菓子づくりは一切機械に頼らない人力だ。特にあんこ練りは和菓子作りの基本と、大切にしていると話す。
 「あんこがグツグツ言い出すと、『熱いよ』とか『ぬるいよ』とか『ちゃんと練ろ』とか聞こえてくるんですよ。『あつつ』と言うからやめると、ちょうどいい仕上がりです」と話す目は少年のようにきらきらしている。いやすこ2人も話を聞くうち楽しくなってくるし、そんなあんこの声を聞きながら作られる全勝餅だもの、あの優しい味わいになって当然と思えてくる。
 取材初めに、何百年も続くお店には何があるのでしょうねと質問をして、ご主人を「なんでだべなぁ~」と困らせてしまったが、一つだけピピッと来た。あんこ練りが好きという遺伝子だ。
 全勝餅は次代にも技術と共に受け継がれているようで、うれしさいっぱいで店を出た。画伯も一言「みぃさんにとっては全快餅だね」。まさにその通りだ。

◎縁起のいいアズキの赤色

 あんはそれ自体で一つの菓子にはならないものの、和菓子には欠かせない材料。もともと鎌倉時代に中国から伝わった点心という食べ物の代用品として、アズキを使ったあんが始まったといわれる。
 アズキは調理することで他の豆類より口当たりが良くなるという性質がある。アズキの赤い色はおめでたいとされ、なじみ深く縁起のいい作物だったことも手伝って、点心の代用品として使われたようだ。
 豆、水、砂糖といったシンプルな材料で作られるからこそ、アズキの質が重要になる。
 あんこづくりは近年、機械化され、生あん製造を専門とする工場も全国にできている。生あんは、アズキの皮以外の中身の部分を水にさらし、水分を取り除き乾燥させたもの。
 生あん作りは時間もコストもかかる大変な作業であるため、製あん所から生あんを仕入れて加工する和菓子店もある。

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。