まんまるお月さま。眺めていたらふっと思い立った。「秋は短し 食せよ いやすこ」とばかりに、2人はナシ狩りへ。

 仙台市地下鉄の東西線荒井駅から、市営バスに乗って7分ほど。バス料金は100円と安いばかりではない。画伯も「街中からも30分足らずで来られるなんて驚き」というここは、せんだい農業園芸センター(若林区)だ。

 待っていてくれたのは所長の太田尚志さん(60)と農学博士の菊地秀喜さん(63)で、いただいた名刺には仙台ターミナルビル株式会社と書かれていた。

 仙台市農業園芸センターが東日本大震災での被災を経て再開後、2016年から同社など二つの民間事業者が仙台市から施設と土地を借りて共同運営し、現在の名称に変わった。

 改めてナシが目当てで来たと告げると「ナシには青ナシと赤ナシがあるんです」と農学博士の菊地さん。青オニ、赤オニ…? きょとんとするいやすこを相手に菊地さん、太田さんの楽しいナシ話が始まった。

 褐色の「長十郎」が赤ナシで、黄緑色の「二十世紀」が青ナシと聞いて、なるほど皮の色の違いと納得。関東以北が赤ナシ文化で、南は青ナシ文化だそう。「確かになじみの深い利府ナシも長十郎だね」

 二十世紀も長十郎も1900年ごろに誕生したナシで、今は各地で品種が増え、このセンターでも「幸水」「あかつき」をはじめ8品種が栽培されている。

 その中の、なんか引かれる名の「甘太」は、青ナシからスタートして赤ナシのような見た目になる性質を持ち、名前の通り甘い。「全て味が違うし、収穫する時期でも違います。木の上で完熟したのが一番おいしいです」

 そこにはまた、植物学的な理由が。完熟しておいしい香りを出すことで、鳥に食べてもらって種を運んでもらうという、ナシの子孫繁栄戦略があるのだ!
 さらに話は「和ナシは日本で生まれました」と歴史へ展開。古くは弥生時代から食べられていた果実であり、今でも自生している山ナシは、岩手などで見られるそうだ。

 「昭和30年代、仙台駅東口あたりにはナシ畑があって、お墓とナシの木が混在していたんですよ」と太田さん。以前、青葉区高松にもにナシ畑があったと聞いた。仙台はナシの適地だったのだろうか。

 ナシの生育には、冬に7.2度以下が800時間必要だそうで、条件は合致。ますます宮城はナシの適地になっていくのではと太田さんは話す。しっかりと寒さをいただいて冬を越し、春に花を咲かせ、そして実りを迎えたナシたち。

 いざ、ナシ狩りへ。樹上に実った「あきづき」の立派さに、おーっとためいき。「秀玉」はさらに大きくて何と600グラム。それぞれの品種が2~3週間収穫でき、10月中頃は甘太が旬を迎えるという。

 「そういえば、高校生5人が自転車でナシ狩りに来たんです。どうしてって聞いたら、ナシが食いたかった、と言ってましたね」とにっこり。

 分かる~と、いやすこ。帰るやいなやナシを頬張る。「うわ~、みずみずしい」「わぁ、うまい」と秋を大満喫だ。

◎晩秋からはリンゴ狩りも

 せんだい農業園芸センターの前身で若林区の南小泉地区にあった養種園は、1900年に東北地方の農業振興を目的に伊達家が創設した施設である。43年に仙台市の経営となり、戦後は市指導農場養種園となった。さらに、園芸ブームなど時代の変遷に伴って、66年に市民の園芸指導や各種園芸行事などを行うようになり親しまれたが、89年にその幕を閉じた。

 同年、若林区荒井に市農業園芸センターが開園。東日本大震災で被災したが再開した。その後、2016年には民間に施設整備と公共サービスの提供を委ねるPFI方式による新たな運営体制をスタートさせ、せんだい農業園芸センターに名称変更した。

 農と触れ合う交流拠点をコンセプトに、センターには梅園やハーブガーデン、食堂まで整っている。その一つ、今回取材した観光果樹園では、晩秋からリンゴ狩りも行われる。また、広場には津波被害から復旧した田んぼの稲わらを使った、わらアートも展示されている。

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。