「今は柔らかいのが流行なのよね」と画伯。何がと聞くと、パンだという。「堅ーいパン、知ってるよ」というと、画伯の目がもう『行きたい、食べたい』と告げている。

 早速2人がやってきたのは仙台市若林区荒町商店街。今も懐かしい商店街の風情を残すその街並みの真ん中あたりに「堅パン」を製造・販売している広進堂がある。

 よく見ていないと見逃してしまいそうな、派手さとは無縁の街のパン屋さんだ。中に入ると、パンのいい香り。その中に予約の紙が貼った食パン、菓子パン、そしてみそパンの隣に「堅パン」が並んでいる。

 迎えてくれた店主の岡直樹さん(54)は6代目だそう。「明治15(1882)年の創業、今年で138年かな」と話す。江戸時代には御譜代町の一つだった荒町で、前身は砂糖の卸問屋だったそう。「砂糖だけでは食べていけなくなって菓子作りを始めたようですよ」と岡さん。

 パン屋さんで6代目とはすごいと思っていたら、なんと今でいうレシピ帳が継承されているという。「明治20年 麺麭(パン)製造法」と表書きされた帳面を開くと、スークリーム(シュークリーム)、バター40匁(もんめ)…と材料と配合が筆文字で記されている。ページをめくると小味噌(みそ)麺麭、カシテラ(カステラ)、上角麺麭(これは食パンのことだそう)。そして、あったあった「堅麺麭」の文字。

 「堅パンは明治時代からずっと作られてきたんだ」と、いやすこはしみじみ驚いてしまう。「1匁が3.75グラム、今もこのレシピでやっています」と岡さん。原料は小麦粉、砂糖、ゴマ、水などシンプル。焼く時間を長くして水分を飛ばしているから堅くなる。昔は赤ちゃんの歯固めに重宝されたという。

 歯がかゆくてむずかる赤ちゃんに、おんぶしたまま堅パンを与えて家事や仕事をする昔のお母さん像がよみがえる。「そのまんま離乳食にもなるし。1カ月以上持つので保存食としても役立ちます」。堅パンは東北学院高山岳部の人たち御用達でもあった。ポケットに入れてておなかがすいたら食べる、また非常食としての役割もあったことだろう。

 「焼き締めて作ることで長持ちさせる。パン作りにも生活の知恵が生きています。それがレシピとなって残されている、これが伝承だと思いますね。うちは添加物は使ってません。添加物の入れ方も知らないんです」とにこにこ。と、こんな話も。

 「うちのパンは夏だと2~3日でカビが生えることもあります。冷蔵庫に入れて保管してくださいと話すのですが、ある時、外に出しててカビが生えてしまったというお母さん。でも、これがカビなんだよと、子どもに教えられて良かった、と話してくれたんです」

 あれもこれもと買ったいやすこ。堅パンは歯が立たないと思いつつも、少し柔らかくなりだすとたっぷりのゴマの効いた深い味わいに、またたく間にお代わり。1枚目はミルクと一緒に、2枚目は紅茶、3枚目はミルクティーと。もうくせになってしまいそうだ。

◎おぼえがき/軍隊の携行食として重宝

 堅パンは保存食の一種。いつ生まれたかは定かではないが、欧米各国で当たり前に普及していたといわれる。英名はハードブレッド、ハードビスケットで非常に堅いのが特徴。米国の南北戦争当時は兵士の間で「鉄みたいに堅い」と、アイアンプレートとさえ呼ばれた。

 欧米の軍隊では携行食糧として重宝され、日本にも幕末の西洋兵学とともにもたらされた。戊辰戦争の際には携行食糧の一つに加わり、箱館(現在の北海道函館市)には当時、製造工場まで設けられたがその後、廃業している。

 一般に販売もされ、子供の顎の発育に良いという意見もあって普及した。大正末期、官営八幡製鉄所(現在の日本製鉄八幡製鉄所)で従業員の栄養補助のために堅パンが作られ、北九州市の名物となった。

 またレーズン入り堅パンを英国で商品化したのがガリバルディといい、この製法をベースに東ハトオールレーズンが開発されている。非常食として知られる乾パンは、堅パンの亜流。

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。