東日本大震災で港に面した中心市街地が壊滅した宮城県女川町では、津波による浸水が海抜約20メートルに達した。港周辺に立つ商業施設や公共施設はほとんど水没。津波は鉄筋の建物をなぎ倒すほどの威力で、多くの町民が逃げた高台の町立病院にも押し寄せた。町役場も最上階まで浸水し、町の防災無線は市街地が津波にのみ込まれている最中に途絶えた。(肘井大祐)

◎宮城・女川町中心部壊滅(下)

 港近くにあった建物のほとんどが津波にのみ込まれた宮城県女川町で、4人の男性が一時は建物全体が水没した商工会館の屋上にいた。屋上の給水塔に登って助かった4人は、間近で津波の威力を目の当たりにした。

 商工会館は鉄筋コンクリート4階建て。屋上には高さ約5メートルの給水塔があり、1.5メートル四方の台座に立つ4本の支柱が給水タンクを支えていた。

 本震が発生した当時、会館には商工会職員の青山尊博さん(38)ら男女7人がいた。女性職員や外部の関係者を先に逃がし、青山さんら4人が屋上に登った。

 青山さんらが屋上にたどり着いた時には既に、津波が4階に達していた。4人はそれぞれ支柱にしがみついた。足元で、目の前で、建物などが流される様子を見た。

 青山さんと商工会職員の遠藤進さん(55)は、しがみついた柱を挟んで向かい合う形になった。

 「病院もだめだ」

 「皆、死んだべや」

 「終わるときはこんなものか。あっけない」

 あぜんとしながらも、気持ちを落ち着かせるために、努めて互いに言葉を掛け合った。

 引き波で陸から流れてきた木造家屋などが、倒壊を免れた他の建物にぶつかると、ごう音とともに水しぶきが上がった。

 ばらばらの木片になる建物、燃えながら流される民家。波音や建物が壊れる音とともにプロパンガスの噴出音も聞こえ、2人とも「次第に言葉が出なくなった」(遠藤さん)。

 水位はじわじわと上がり、屋上も水につかった。水面は一時、4人の足元約50センチにまで迫った。

 「もう、だめだ。死ぬな」。家族に形見を残そうと、青山さんは身に着けていたネクタイを支柱に結び付けた。

 屋上に達した水は15分ほどで引き、夕方にはさらに水位が下がった。4人は3階に下り、四方の壁が残っていたトイレにこもった。座ると、衣服がぬれてさらに寒くなると思い、立ったまま夜を明かした。

 女川町は女川港周辺にある3、4階建ての建物のうち、商工会館と女川消防署、観光施設のマリンパル女川を津波避難ビルに指定していたが、今回の津波で屋上まで水没しなかったのはマリンパル女川だけだった。

◎「高台に逃げろ」叫ぶ/町役場、直前まで無線放送

 宮城県女川町中心部に津波が押し寄せている最中、町役場では2人の職員が防災無線で町民に避難を呼び掛けていた。役場庁舎の最上階、3階にある無線室が浸水するまで、放送は続いた。

 気象庁が大津波警報を発令した2011年3月11日午後2時50分ごろ、女川町企画課の臨時職員(当時、4月末で退職)の八木真理さん(36)は無線室に駆け込み、防災無線の放送を始めた。

 「大津波警報が発令されています。沿岸部の人はただちに高台に避難してください」。警報発令に備えて用意していた原稿を手に、備え付けのマイクに向かって、繰り返し呼び掛けた。

 放送を始めて約20分後、企画課防災係長の阿部清人さん(45)は庁舎2階にいた。海側の様子を眺めていると、沖にある高さ6メートルの防潮堤よりはるかに高い波しぶきが上がるのが目に入った。

 すぐに、無線室に向かった。「大きな津波が押し寄せています。至急高台に避難してください」と放送用の原稿を替え、「余計なことは言わなくていい」と八木さんに伝えた。すぐさま、1階に駆け下りた。「全員、屋上に待避」。声の限り、職員に指示を出した。

 無線室は庁舎西側にある。港の反対側に位置し窓からは海側の様子が見えない。「役場周辺の状況が全く分からず、すぐそばまで津波が来ていることも知らなかった」と八木さん。淡々と放送を続けた。

 やがて役場も浸水し、2階に海水が上がってきた。阿部さんは再び、無線室に駆け込んだ。

 「すごい水だ。放送を代わる」。八木さんは無線室を飛び出し、屋上に向かった。

 阿部さんはマイクを握り、「高台に逃げろ」と2度、叫んだ。次の瞬間、無線室に海水が流れ込んできた。「これが最後の放送です」。阿部さんが次に言おうとした言葉を発する間もなく、放送機材と固定マイクが水没した。

 阿部さんは腰まで水につかりながら無線室を出て、屋上にたどり着いた。職員ら当時庁舎内にいた約100人は屋上に逃げ、全員無事だった。屋上に登った最後の1人が阿部さんだった。=2011年8月26日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。

 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。

 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。

 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。