東日本大震災による津波被害が大きい宮城県沿岸部では、住民が散り散りになり、民生委員の活動が困難になっている。仮設住宅やアパートなど転居先を開示する自治体は少なく、民生委員は人づてに所在を聞き、訪ね回る日々だ。活動範囲も格段に広がった。「どう支援の手を差し伸べていいのか」。苦悩が続く。

 地区全体が壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市幸町地区。同地区の民生委員斉藤正男さん(72)は市西部の仮設住宅で暮らしながら、かつて近所だったお年寄りや障害者の世帯を訪ね、体調を気遣いながら相談に乗る。

 15日は市内4カ所の仮設住宅を巡回。1人暮らしの主婦村田あきさん(93)方で優しく声を掛ける。「寒くなったけれど体調は大丈夫?」「痛めた腕の具合はどう?」

 村田さんの顔がほころぶ。「震災前も玄関先から声を掛けてくれた。顔なじみの人が来てくれるのは本当にうれしい」

 斉藤さんは、以前は市が提供した世帯名簿を手に約150世帯を歩いて訪ねていた。震災後、市から転居先の情報提供はない。携帯電話で直接住所を尋ねたり、自治会長から聞いたりしたが、いまだ全員の居場所を把握できていない。

 民生委員は基本的に無報酬。活動はほとんどが車での移動になったが、ガソリン代は自己負担だ。「できるだけ多くの人を訪ねたいが、限界がある」と斉藤さん。10月下旬には仮設住宅で暮らす高齢の女性から突然、腹痛を訴える電話があり、車で病院まで運んだこともあった。

 市社会福祉事務所は転居先などの情報について「どういう情報を提供できるか、検討している段階」と話すにとどまる。「被災した民生委員も多く、活動体制の見直しが先だ」と言う。

 石巻市北上町の民生委員佐々木裕子さん(61)も津波で自宅が流失。仮設住宅に入居して活動する。同じ仮設住宅に地区住民の7割弱が入り、日常的に接しているが、「ほかに移った人たちへの訪問は難しい」。

 石巻市も各世帯の名簿は明らかにしていない。市福祉総務課は「お年寄りや障害者ら要援護者の入居先を伝える準備はしているが、家族全員の名前などを伝えることは考えていない」と話す。

 一方、宮城県南三陸町は8月末、仮設住宅の団地ごとに世帯名簿を民生委員に提供した。

 町民生委員児童委員協議会の舘寺昌晴会長(66)は「入居の選考段階で公平性を重視したため、地域コミュニティーが崩れてしまった。地域のつながりを維持するため、どこに誰がいるのかを把握する必要があった」と説明する。

 同協議会の事務局を務める町福祉課も「個人情報の取り扱いは慎重にならないといけないが、大変な時期だからこそ、共有化が必要な情報もある」と指摘している。(田柳暁)=2011年11月20日河北新報
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 東日本大震災の直後から、被災地で暮らす市民の課題を取り上げた河北新報連載「焦点」。震災7年の節目に、発生翌年までの主な記事をまとめました。
=肩書や年齢は掲載当時のものです。=