元号「令和」の典拠となった日本最古の歌集『万葉集』。登場する鳥で2番目に多いのが「雁(かり)」、つまりガンだそうです。宮城に舞い降り続けてきた渡り鳥の危機と復活について考えてみましょう。

 「ガンは昔から私たちに身近な水鳥だった」。こう話すのは日本雁(がん)を保護する会(栗原市)会長の呉地正行さんと会員の香川裕之さんです。多賀城に赴任したとされる万葉集編者の一人、大伴家持も雁に触れた6首を詠んでいます。

 マガンをはじめ多くが飛来するため、ガンは宮城の「県鳥」。江戸時代の図鑑には「仙台周辺で雁猟をすると10羽のうち7、8羽はシジュウカラガンだった」と記録が残っています。

 しかし、シジュウカラガンの日本飛来は1935年ごろ、途絶えてしまいました。繁殖地のアリューシャン列島と千島列島に、毛皮目的で放されたキツネの餌食となり、絶滅したと考えられたのです。

 アリューシャンで63年、小さな群れが再発見されて事態は好転します。米国が羽数回復に取り組み始めました。

 83年には日本雁を保護する会と仙台市八木山動物公園も同様の事業を共同で開始。米国に加えてソ連崩壊後はロシアの協力も得ながら、繁殖地での放鳥を続けました。一方、宮城など国内の越冬地では、冬の田に水を張って生息湿地を回復する「ふゆみずたんぼ」も進めました。

 現在は日本への飛来数が5000羽以上(2017年度調査)に回復。18年1月には仙台市東部上空を飛ぶ77羽の群れが確認されたそうです。

 多賀城には塩釜市、利府町にまたがる形で「加瀬沼」があります。「ここは江戸時代以降の記録や猟師の証言から、ガンのねぐらだったと考えている」と呉地さんは説明します。

 大伴家持が雁の歌を詠んだ万葉の時代、加瀬沼は多賀城の外堀の役割も果たしていました。当時、シジュウカラガンが飛来していたかもしれません。

 越冬地の沼や田んぼ。身近な自然を守って生き物と共生することは、歴史的な風景を取り戻すことにつながる。呉地さんたちの活動を知り、そう感じました。
(特定非営利活動法人せんだい・みやぎNPOセンター 菅野祥子)


参考情報

◆日本雁を保護する会(JAWGP)
〒989-5502栗原市若柳川南南町16
連絡先(ファクス兼)0228(32)2004
メール son_goose2@ybb.ne.jp

<関連サイト>
■蘇(よみがえ)れ アジアのシジュウカラガン!
http://www.koueki-suntory-aityou.jp/topics/1410.html
■第2回生物多様性日本アワード グランプリ受賞(2011年)
https://www.aeon.info/ef/midoripress/jp/award/award2011/001.html
■「野生のガンの飛行」NHKワールド(2019年12月20日、英語版)
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/videos/20191220215514591