東日本大震災から間もなく9年を迎えます。被災地では国内外のボランティアやNPO、被災者自身が暮らしの再建などに大きな役割を果たしてきました。今週と来週の「とびらを開く」は、仙台市内などで支援活動や地域の再生に取り組む3人による座談会の様子を紹介します。
(司会は特定非営利活動法人せんだい・みやぎNPOセンターの青木ユカリ常務理事)

 -震災では津波被災地を中心に被災者の生活をいかに支えるかが求められました。真壁さんが関わる宮城県サポートセンター支援事務所(仙台市)も震災から半年後の2011年9月に開設されました。

 真壁 「サポートセンター」と呼ばれる組織は発災直後、数多くできました。国内外からの支援物資を受け入れて配ったり、ボランティアの窓口になったりしました。

 でも、私たちのセンターは異なります。「被災者が被災者を支える」ため、県が開設した「生活支援員制度」の拠点です。

 庄子 「被災者が被災者を支える」とはどんな活動でしょうか? 被災地にとって大切な要素が含まれているように感じます。

 真壁 発災後、仮設住宅やみなし仮設で暮らす方をどう支えるかが問題になりました。1人暮らしや高齢だったり、家族を失ったりしたことで、孤立や健康が懸念されたためです。

 県は津波被災地の13市町で計約1000人の「生活支援員」を募集。県内60カ所に設けた「サポートセンター」に配置しました。その採用された多くの方が、沿岸部で水産業に従事していた女性たちでした。

 福祉の未経験者ばかりでしたが、研修でスキルを身に付けながら活動。丁寧に困り事を把握したり、こまやかな見守り活動ができたりしたのは、同じ被災者だからこそだと思います。

 -背景には「浜の助け合い」の文化があり、それが仮設住宅での被災者支援を実現させたとも言えそうです。被災者の孤立は、順次完成した新たな暮らしの場でも課題になりました。新井さんは現在、災害公営住宅に移った人たちのコミュニティーづくりを応援していますね。

 新井 私たちが主に活動している仙台市太白区長町地区には以前、市内最大のプレハブ仮設がありました。その集会所では、さまざまな支援団体が、お茶っこサロンや編み物教室、体操教室などを開催していました。

 好きなイベントに好きな人たちと好きな時に集まれる。集まる機会ができたことで、仮設入居者の「居場所」が生まれ、結果として入居者の孤立を防ぎ、つながりを育んだのです。

 この「居場所」を災害公営住宅でも引き継いでいきたい-。そう強く願い、イベントを開催する側だった十数団体に声を掛け、NPO法人つながりデザインセンター・あすと長町を共に設立しました。

 -集会所という「居場所」をつくることで、多様なつながりを生み出していこうと活動しているわけですね。

 庄子 私も同様のことを実感します。(被災者ら)多様な人たちがさまざまな活動に参加できるように促す。のりしろのような「関わりしろ」を増やしていくことが大切だと思います。

 -庄子さんは自身も被災しながら、浜の町だった古里の記憶を伝えようと、集落跡などを来訪者に案内する「海辺の図書館」の活動を展開。交流の輪を広げています。

 庄子 私が暮らしていた仙台市若林区荒浜は、仙台で唯一の海水浴場があり、貞山堀に沿って美しい街並みが続いていました。それが津波で大きな被害を受け、居住が認められない災害危険区域に指定され、私も内陸に移住せざるを得なくなりました。

 実は被災するまで、地域づくりや市民活動、NPOなどへの興味はありませんでした。それが震災以降、(復興支援などの)活動やプレーヤーに荒浜で出会って刺激を受けるようになりました。自分の中に眠っていた「荒浜への愛着」にも気付かされました。

 地域に興味が湧いてくると、今度は地域を放っておけなくなり「自分でも、荒浜で何かを始めたい」と思うようになりました。荒浜での活動につながる「気付き」を得たのです。

 -皆さんの話から浮かび上がるのは「つながり」の重要性。「被災者と被災者」「被災者と支援者」「被災者と地域」など多様な形があるように感じます。

 真壁 私たちの活動で言えば、被災者でもある生活支援員を、さらに保健師や社会福祉士などの専門職が側面から支えました。仮設住宅ではこうして「一人も見捨てない」との覚悟で活動してきました。

 仕組みは新潟中越地震の被災者支援を参考にしていますが、被災者自身が生活支援員として支える側にも回るのは宮城独自の取り組み。今では「宮城方式」として全国から注目を集めています。

 新井 災害公営住宅の集会所で生まれるつながりも多様です。居住者だけが使う場所と限る必要はないはずです。これからは外部の人も(被災した)入居者を気に掛けて立ち寄り、自由に交流できるようにすることが求められます。

 外とつながれば、自治会などの「限られた地縁」だけではなく、年齢や性別、職業などを超え、地域住民が出会い、つながる機会が生まれます。その中で育まれる暮らしの多様性こそ、コミュニティーづくりには必要だと思います。

 庄子 私は被災した海辺の自宅跡地に交流できる小屋を建て、人が不意に訪れてくれるようにもなりました。小屋での挑戦や来訪者との出会いなど、こうした一つ一つが活動のステップになってくれたと感じています。

 出会いが節目になっているからこそ、例えば震災から9年、10年という時間の経過や、東京五輪の開催などが、自分にとって復興の区切りになるとは感じませんね。

 座談会の取材と執筆は、まちかど公共研究所の工藤寛之が担当。このページは特定非営利活動法人せんだい・みやぎNPOセンターが担当しました。
022(264)1281。minmin@minmin.org