デイサービスに行く日の義母(はは)は、朝から気ぜわしい。「9時にお迎え来るから」と言っては、日にちの確認に何度もリビングと自室を往復している。

 あの世からのお迎えじゃあるまいしと笑いたいのだが、本人は真剣だ。認知症の中核症状の一つということだが、分かってはいても止められない不安症なのだ。

 93歳とは思えないような動作で、身の回りのことはたいがいできるのに認知力は落ちていく。しんどそうな様子は、そのギャップに苦しんでいる姿にも見える。

 デイサービスの施設長さんのアドバイスで、同調してみたり気をそらしたり。笑い返すと本人も笑っている。そうした日々の中で気付いたことがある。

 義母の頭を支配しているのは「備え」なのだ。お出掛けに必要なもの、ティッシュ、診察券、財布の中身をしきりに気にしている。確かめておかないと後で恥をかくという。人はいくつになっても備えがないと不安なものらしい。

 もちろんこれは義母の性分によるものだが、いろんなものが抜け落ちて「きちんとしなければ」だけが残った。

 そうか、安心を得るために繰り返される確認行為は一生懸命生きていることの証しでもあるのね。そう思ったら気が楽になった。

 視点を変えてみることを教わったのは、実は私より二回りも年長の方からだ。

 聞き書きのご縁で、ひそかに女傑と呼んで私は慕っているのだが、ある時訪ねると、転んで右手靱帯(じんたい)を損傷したとのこと。さぞ不自由なことだろうと思ったら、「右手の代わりに左手を使おうとして、右脳が少しお利口になるみたいなのよ」と、まだギプスの取れない手でお茶までいれていただいたのである。

 それ以来、年を取ることが大変なことばかりとは思わなくなった。この柔軟さがあれば。

 今日も朝から、いや昨夜から繰り返されるお出掛けの確認に、いささかうんざりしながらも、車中の人となった義母に、精いっぱい「いってらっしゃい」の手を振る。
(みやぎ聞き書き村会員)