宮城県名取市愛島北目出身の檀崎質郎さん(1907~2003年)は「武道の達人」として郷土に名を残す。大相撲では前頭筆頭まで昇進し、居合道では当時最高位の範士9段を極めた。剣道、杖道(じょうどう)も高段の腕前で「剣聖」の異名を取る。

 20歳で大相撲の世界に飛び込んだ。1927年10月場所でしこ名「名取川」として初土俵を踏み、「桂川」と改名した後、34年5月場所で入幕。身長170センチの小兵ながら、まともに相手に当たっていく小気味のいい取り口で、幕内在位は15場所だった。

 厳しい稽古で知られ、全ての指が変形したという逸話がある。「わたしの稽古は両脇を固めていかに相手に激しくぶつかるかだったから、指先は全部骨折。昔だからそのままに放っておいたから変に曲がったままになってしまったね。だがこれも修行のうち、当たり前と思っていた」。後年、こう回想している。

 大横綱双葉山の69連勝中に本場所で対戦した最後の存命者でもあった。42年5月場所で現役を引退した後、木瀬部屋を興す。元小結の青葉山(浅香山親方、大郷町出身)を見いだしたのも、檀崎さんだった。

 居合道を始めたのは現役の力士時代からで、「昭和の剣聖」といわれた「夢想神伝流」第16代宗家の中山博道に師事した。64年の東京五輪では一門を率い、東京・日本武道館で居合道の模範演武を披露。96年、夢想神伝流第18代宗家を襲名し、96歳で亡くなるまで数多くの門下生を育てた。

 直弟子の一人で、県剣道連盟居合道部会顧問の本郷直喜さん(91)=岩沼市=は「弟子に対する稽古は厳しかったが、稽古が終われば慈愛に満ちていた」と回顧する。

 「肉体は衰えるけれども、気力は永遠だ」。本郷さんの胸には師匠の言葉が今も刻まれている。檀崎さんは90歳の卒寿を迎えた97年にも、竹駒神社(岩沼市)で居合を奉納している。

 檀崎さんが亡くなった後の2006年、弟子たちが中心となって名取市民体育館前に顕彰碑を建立した。居合の演武を披露する勇姿を前面に彫り、相撲と居合道に抜きんでた才能を表現しようと、太刀をかたどった2本の柱を両脇に配置した。

 顕彰碑の建立に携わった市剣道連盟の洞口周士会長(68)は「精進に精進を重ねた檀崎先生の姿勢を受け継いでいきたい」と気を引き締める。地元の居合道愛好家らは毎年、お盆の前に遺徳をしのび、顕彰碑の清掃を続けている。
(岩沼支局・小沢一成)

[メモ]大相撲の現役時代は伊勢ケ浜部屋に所属。引退後は木瀬部屋を運営する一方、日本相撲錬成道場を開いてアマチュア指導にも力を入れた。居合道では「檀崎友彰」を名乗った。杖道範士7段、剣道教士7段。顕彰碑は名取市の「なとり100選」に選ばれている。