室内はがらんとしていた。6月下旬。マスク越し、たった1人の来訪者にぽつりぽつりと語り掛ける。

 名取市の小斎正義さん(79)が人前で話すのは、3カ月ぶりだ。新型コロナウイルスの影響で、東日本大震災の語り部活動は止まってしまっていた。

 「津波という言葉は知っていたけれど、津波がなんたるか、その恐ろしさを知らな過ぎたんです」

 約800人の死者・行方不明者が出た名取市閖上地区。NPO法人・地球のステージが運営する津波復興祈念資料館「閖上の記憶」で館長を務める。

 震災10年目に入り、伝承を取り巻く状況は曲がり角に差し掛かっている。

 被災の爪痕が色濃く残っっていた2014年度は年間約8000人を案内した。近年は3500人前後で推移する。語り部の高齢化が進み、メンバー16人の半数近くが60代以上。寄付が減り、民間企業の助成はいつまで続くか分からない。

 新型コロナの突風にあおられ、3~5月で1090人の申し込みがキャンセルになった。「震災が過去形になり、忘れられてしまうんじゃないか」。不安が膨らむ。

 自粛生活の日々で、日航ジャンボ機墜落事故(1985年)の遺族会が30年目に寄せた手記を読んだ。長い年月をかけ、丁寧に記憶を伝える姿に共感した。

 新型コロナが人々の記憶を上書きしようとする。阪神大震災も、新潟県中越地震も、次の災害が起きるたび影が薄くなっていく。

 「歴史から学ばないと、同じ悲劇を繰り返してしまう」

 ガイドで慰霊碑の前に立つと、亡くなった人たちの顔が浮かぶ。声が詰まる。コロナ第2波の襲来の不安と隣り合わせの中、語る意味を見つめ直す。

 東京電力福島第1原発事故で被災した福島県富岡町で活動する「富岡町3.11を語る会」も、コロナの影響で案内ツアーや講演が全て取り消しになった。

 「全線開通したJR常磐線など復興の様子を見てもらえる機会だったのに」。代表の青木淑子さん(72)が表情を曇らせる。

 コロナの逆風の中で、活動の原点を再認識した。「大事なのはやっぱり『密』であること。コロナが落ち着けば以前のように戻りたい。今は会えない、手をつなげないとしても、つながりは絶対に守りたい」

 原発事故で町は一時全町避難した。新たなまちづくりが進む一方で、住民が戻れない区域が残る。第1原発の廃炉作業について、政府は30~40年かかると見込むが、先行きは見通せない。

 「福島の復興は福島県民だけではできない。一緒に考える人が一人でも増えることが原動力になる」

 原発被災地の今を知ってもらい、共通認識を持つ。どんな避難生活を送ってきたのか。古里を離れて暮らすということは、どういうことなのか-。

 「なぜこうなったのか一緒に考えてみてください」

 住宅地を分断するバリケードを前に、語り部はこう問い掛ける。

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 東日本大震災の発生から来年3月11日で10年になる。地震と津波、東京電力福島第1原発事故によって2万2189人(関連死含む)が犠牲となった大災害は、命、人々の暮らし、教育、社会の在りようを根底から問い直した。私たちが目指した「復興」とは何だったのか。政府の復興期間の節目となる震災10年に向け、その意味を改めて考えたい。第1部は震災伝承活動の現状を追う。=第1部は6回続き