社会人2年目。「仕事をしながら語り部を続けるのって、すごく難しい」。宮城県南三陸町出身の佐藤瑶子さん(24)=東京都=が率直な思いを語る。

 志津川中3年の時、東日本大震災を経験した。自宅は津波で流失。町内に住む母方の祖父高橋長禄(ちょうろく)さん=当時(72)=と祖母治(なおし)さん=同(71)=が犠牲になった。

 高校に進学して町内の高校生有志の語り部グループに参加した。伝えるのは被災のショックや仮設住宅での苦労、復興への思い。全国各地に呼ばれ、シンポジウムなどで「災害はいつどこで起こるか分からない」と訴えてきた。

 慶応大を卒業後、都内のIT企業で働く。首都直下地震など巨大災害の発生が予想される中、「備えの大切さを知ってほしい」との思いは変わらない。ただ、時間の確保が難しく、就職後は一度も語り部はしていない。

 震災後、被災地では中高生を中心に若者による伝承活動が多く生まれた。今も活動を続ける人がいる一方で、佐藤さんのように就職や進学で休止するケースも相次ぐ。

 若い世代のジレンマは、仕事や学業との両立だけではない。多感な高校生の頃に「意識高いね」とからかわれたり、燃え尽きたり。活動が重荷になり「リセットしたいと感じた人もいる」(佐藤さん)という。

 同世代の語り部仲間の多くは、地元企業を含め、地域や社会のために働いている。佐藤さんは「形を変え、復興を支える段階に入っている」とも話す。

 河北新報社が岩手、宮城、福島3県の語り部団体に行った調査では、語り部442人のうち10、20代が51人いる一方、全体の7割超が50代以上だ。

 被災体験を整理した上で語れるのは、一般に「震災時、小学校高学年以上だった世代まで」とされる。語り部が高齢化する中、若い世代にいかにバトンをつなぐか。被災地共通の課題だ。

 語り部を続ける東北学院大2年の雁部那由多(なゆた)さん(20)は「体験や教訓を語れるのは、自分たちが最後かもしれない」と打ち明ける。

 被災したのは東松島市大曲小5年の時だった。目の前で津波にさらわれた男性を助けられなかったという悔いを抱える。

 「子どもたちに震災を伝える時、年代が近い人の話ほど印象に残りやすい。若い語り手の重要性を感じる」と雁部さんは言う。

 災害伝承に詳しい大阪府立大の山地久美子客員研究員は「若い語り部が直面する共通の課題が、就職後の『副業』の難しさ。そもそも30、40代の現役世代の語り部が少ない」と指摘する。

 「最後の世代」の活動が先細ることへの危機感を抱きつつ、雁部さんは自問する。

 「語り部活動を離れた人はもちろん、多くの人が語り部として参加できる間口の広い受け皿が必要ではないか」