岩手県大槌町の実家に昨年4月に帰省し、その場所を確認した。「本当になくなっちゃったんだ」。東京都内の大学4年高木桜子さん(23)はショックを受けた。

 東日本大震災の津波で町長と町職員計39人が犠牲になり、そのうち町長を含む28人が旧役場庁舎で亡くなった。悲劇と教訓に包まれた建物は、1カ月前に取り壊された。

 高木さんは中学高校で吹奏楽部の部長を務め、当時、他県から訪れた中高生らを必ず旧庁舎に案内した。その数、およそ100回。「津波の怖さ、命の大切さを同世代に感じてもらい、それを誰かに伝えてほしいと思った」

 庁舎を残すか、壊すか。住民の意見はまとまらなかった。「議論を継続してほしい」。大槌高3年の冬、参加する同高復興研究会が、解体方針を掲げる平野公三町長に訴えた。

 町外から多くの人が足を運び、震災をじかに学ぶ。そのつながりが、これからの大槌の力になる。すぐに解体していいのだろうか。自問しながら、進学で町を離れた。

 3年後の2018年3月、町議会が解体の予算案を可決した。町は住民との意見交換会を開くなどしたが、合意形成に至らなかった。「もっと時間をかけて考えてほしかった。私たち若い世代が大人になるまで結論を待ってほしかった」

 がらりと変わる前の街並みの記憶を呼び起こせる場所だった。旧庁舎前で演奏したり、花を植えたりした思い出もある。建物が残ることでつらい人がいるのは重々理解している。ただ、なくなって「さみしい」というのが今の正直な気持ちだ。

 津波と東京電力福島第1原発事故の惨禍を伝える震災遺構は岩手、宮城、福島で40近くある。大槌町旧庁舎のように姿を消した建物もあれば、結論が持ち越された庁舎もある。

 町職員ら43人が命を落とした宮城県南三陸町の防災対策庁舎は、むき出しの鉄骨が津波の破壊力を物語る。震災直後から保存か、解体かで遺族、町民それぞれの思いがぶつかった。県は15年12月、時間をかけて話し合えるようにと、31年3月までと区切って県有化した。

 オープンな議論も生まれつつある。今年2月、町民有志が「防災庁舎について考える会」を発足。10~70代の町民25人が世代や立場を超えて互いの声に耳を傾けた。

 発起人で町議の後藤伸太郎さん(41)は空気の変化を感じる。「当事者(遺族)でなくても、少しは話してもいいと思えるようになったのではないか」

 初会合には遺族も顔を出した。阿部代子(しろこ)さん(64)は町職員の夫慶一さん=当時(54)=を亡くした。七回忌を終えた頃から、ようやく周囲に自分の考えを口にできるようになった。

 「震災の時に小さかった子どもが大きくなり、意見を言えるようになった。遺族の意見も聞いてほしいが、庁舎は遺族のものではなく、町民のものだと思う」

 先延ばしされた難問は、若い世代を中心に答えを導いてほしいと願っている。