福島県の農林水産物が、東京電力福島第1原発事故後の価格低迷を克服できていない。安全であるにもかかわらず、不安視して買い控える風評被害が底流にあるとされる。東日本大震災から10年目の今年、牛肉やコメの放射性物質検査は縮小され、漁業も全魚種の出荷が可能になった。転機を迎えた生産現場から、長引く問題の実相を追った。
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 肉牛を育てる農家たちの悲嘆が会場に満ちた。「採算割れだ」「再生産できない」

 7月18日、福島県郡山市で「福島牛」枝肉共励会があった。80頭分の枝肉が競りにかけられ、1キロ当たり平均単価1994円で落札された。新型コロナウイルス禍の需要減が響き、昨年度から2割もダウンした。

 「原発事故にコロナのダブルパンチ。今は1頭売れるごとに大赤字だ」。伊達市で60頭を肥育する狗飼(いぬかい)功さん(72)が苦境を語る。

 2011年7月、福島県産牛から暫定規制値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された。県は出荷時の全頭検査を始めたが、価格は急落。以降、平均単価は全国より200円前後低い状態が固定化している(グラフ参照)。

 事故前の10年度の価格差は約30円。差し引き170円を風評による下落分とすると、概算で1頭(枝肉530キロ)当たり約9万円が「被害額」となる。

 これまで全頭検査は17万頭以上に及び、基準値(12年10月から1キログラム当たり100ベクレル)超えは一切出ていない。肉質と供給量が評価されてきた県産牛の現状に、狗飼さんは「なぜ価格が戻らないのか」と唇をかむ。

 風評対策として、県は手厚い検査で農林水産物の安全性を訴えてきた。19年度は475品目1万5760点を測定し、基準値超えは出荷制限中のイワナとヤマメ計4点(0.03%)だけ。野菜や果実の96.5%、畜産物の99.6%が検出限界値未満だった。

 買う側の意識も変化している。約5200人を対象とした消費者庁の今年1~2月の調査では、放射性物質を理由に福島産食品の購入をためらう人は10.7%。最悪だった14年8月の19.6%から半減し、過去最低を更新した。

 それでも福島産への逆風はやまない。流通実態を調べた農林水産省が一因に挙げるのが、卸や外食、加工、小売りの各業者に生じる「認識の食い違い」だ。

 いずれの業者も納入先や消費者の姿勢を、実態より「福島産の購入に後ろ向き」と思い込む傾向があった。流通の各段階で福島産の取り扱いを控える「負の連鎖」を招き、店頭に並ばなくなってしまう。

 県産牛の取引について、関東の食肉卸業者は「検査や安全性を納入先に説明する手間を考え、買わない卸業者がいる」と明かす。

 市場で引き合いが減った結果、価格が下がり、ブランド力もそがれた。肉質はそのままで「割安感のある肉」(食肉卸業者)に位置付けられ、失った競争力を取り戻せていないのが実情だ。

 県内の肉牛肥育農家は10年の451戸から19年は195戸と半分以下に減った。高齢化と後継者難、そしてコロナ禍。赤字を補填(ほてん)する国の交付金も5月の制度変更で減額され、経営は一層厳しさを増す。

 「原発事故の影響がここまで長引くとは思わなかった。どうすれば解決できるのか分からない」

 狗飼さんが力なくつぶやいた。

◎失った販路、取り戻せず

 福島県の農林水産物にのしかかる風評被害は、なぜ「固定化」しているのか。東京電力福島第1原発事故後の出荷量や価格の低下から早期に回復したケースからは、品目の特性や市場構造の変化など複数の要因が浮かび上がる。

 福島が全国4位の生産量を誇るキュウリ。農林水産省の調査によると、東京都中央卸売市場での平均価格は2011~13年度こそ全国平均を割り込んだが、14年度以降は再び上回った。

 理由は、農産物の旬が日本列島を南から北に移っていく「産地リレー」だ。

 福島産キュウリは7~9月の東京市場シェアが1位で、特に8月は事故後も4割超を維持する。日常的な野菜として夏場の首都圏の需要に応えるには、福島の存在が不可欠だった。

 対照的に、牛肉や保存可能なコメは通年で出荷でき、代替産地も全国にある。ともに事故後の放射能汚染への不安から、小売業者はすぐに競合産地に切り替えた。モモも同様に高価格帯の贈答用需要が長野、山梨両県に取って代わられた。

 産地間競争の中、いったん失った販路の回復は難しい。全頭を放射性物質検査している県産牛は、検出限界値未満を含めた基準値超過ゼロが続いても「やっと同じ土俵に戻った状態」(県畜産課)にすぎないからだ。

 消費者庁の調査によると、放射性物質を理由に福島産食品を避ける人は1割にまで低下したが、検査の事実を知らない人も増加している。19年度は過去最高の46.9%に達した。

 「事故への関心や記憶が薄れる一方、当時の情報が更新されず、福島産にうっすらと悪いイメージが残る『悪い風化』をしている人が、残り9割にも一定数存在する」

 「原発事故と『食』」の著作がある五十嵐泰正筑波大准教授(都市社会学)はこう分析する。

 「悪い風化」層には、福島の汚染が軽減されていることや農林水産物の安全性が「聞き流す情報」にとどまる。消費行動は事故前に戻らず、店頭では他県産を選ぶと考えられるという。

 風評を払拭(ふっしょく)するには福島への興味を引き、現状を把握し直してもらうことが鍵になる。五十嵐准教授は「安全性を確保した上で、品質の良さやおいしさを前面に出して購買意欲を喚起する対策、つまり普通のマーケティングが重要な段階に来ている」と指摘する。

 この9年5カ月、競合産地は新品種開発やブランド力強化に専念してきた。対する福島は年60億円を投じてきたコメの全量検査をはじめ、安全対策と信頼回復に人手も予算も割かれ、出遅れている現実がある。

 流通段階での「認識の食い違い」を乗り越え、スーパーや量販店の棚を取り戻さなければ消費者との接点も復活しない。県農産物流通課の担当者は「新商品を売り込むのと同じか、それ以上の努力が要る」と覚悟を口にする。