マスク越しでも、その声は講堂に重く響いた。

 東京の参院議員会館に7月21日、福島県から農家が駆け付け、経済産業省や東京電力の原発事故賠償の担当者と向かい合った。

 「風評被害があるのに賠償が次々と打ち切られている。福島が復興したとでも思っているのか」。最前列に座る南相馬市小高区の三浦広志さん(60)が問いただした。

 東京電力福島第1原発から北に11キロ。三浦さんは、津波でも自宅や農地が被災した。農事組合法人「浜通り農産物供給センター」の代表理事を務め、28年前から近隣農家のコメや野菜の産地直送を手掛ける。

 避難区域に入る事務所は相馬市に移し、隣の新地町でコメづくりを再開した。

 風評の影響で、コメだけで3億円近くあった法人の売り上げは今も1億円に届かない。賠償は生産者に報いる貴重な原資だった。

 2015年8月、東電は避難区域外の商工業者に対する賠償を見直し、2年分を一括払いした。その後あった約980件の追加請求のうち、支払われたのは6月末現在で23件にすぎない。三浦さんの法人も大幅な減益に苦しむ。

 19年1月には農林業者の風評賠償も算定方式を改め、縮小した。三浦さんは「農業や販売事業を諦めさせようとしているとしか思えない」と憤る。

 「被害者に寄り添い、賠償を貫徹する」。東電は13年に原発賠償の三つの誓いを表明した。だが、特例法で時効が3年から10年に延長された原発事故の賠償請求権が21年3月から順次切れるのを待たず、賠償を縮小させているのが実情だ。

 東電は「時効を理由に賠償を断らない」と説明するが、「誓い」に背反する対応に訴訟が各地で相次ぐ。

 全国4位の生産量を誇る福島県産ナメコは、原発事故前のおよそ8割の価格にとどまる。いわき市山玉町で年170トンを菌床で栽培する「加茂農産」の社長、加茂直雅さん(42)は「賠償頼み」から脱却しようと、もがいてきた。

 父が興したナメコ栽培に携わって13年。事故後は1袋100グラムで3円まで買いたたかれたこともあった。

 商談会に参加し、都内や地元のレストランに出向いて販路を自ら切り開いた。市場の数倍の高値で評価されたが、直接販売分は全体の1割に満たない。「あんなに苦労したのに」。母親の嘆息が身に染みた。

 自分の代で生産を終わりにするわけにはいかない。賠償を元手に設備を更新し、今後20年やっていける態勢を整えた。

 「賠償に甘えず、いいものを作り続ける。物と物ではなく、人と人のコミュニケーションで販路をつなぎ直す努力だけはやめたくない」と加茂さんは言う。

 被害の実態や意欲ある生産者に向き合えているか。事故から10年目。国と東電の責任が改めて問われている。

 福島県の農林水産物が、東京電力福島第1原発事故後の価格低迷を克服できていない。安全であるにもかかわらず、不安視して買い控える風評被害が底流にあるとされる。東日本大震災から10年目の今年、牛肉やコメの放射性物質検査は縮小され、漁業も全魚種の出荷が可能になった。転機を迎えた生産現場から、長引く問題の実相を追った。