東日本大震災は11日、発生から9年半を迎えた。巨大な地震と津波に、東京電力福島第1原発事故が重なる複合災害。「創造的復興」を掲げた青写真は、政府の復興構想会議=?=によってわずか2カ月余りで描かれた。人口減少社会のさなかに起きた国難から立ち上がるため、何を議論し、どんな解法を示したのか。関係者の証言や議事録から構想会議の実像に迫った。(6回続き)

 6階建ての災害公営住宅の最上階から再生したまちを眺める。想像していなかった光景が広がっていた。

 7月18日、神戸大名誉教授で、政治学者の五百旗頭(いおきべ)真(76)は陸前高田市にいた。復興構想会議で議長を務め、被災地の状況が気になっていた。

 海抜10メートル程度まで大規模に盛り土された中心市街地に、商業施設や店舗が立ち並ぶ。4月に市民文化会館がようやく開館し、市博物館の建設も進む。住宅は少なく、87.1ヘクタールものかさ上げ地は空き地が目立つ。

 「これほどの人工丘の造成は考えていなかった。思い切った大事業をやった喜びと悲しみが出ている」

 構想会議に臨む前、防衛大学校長だった五百旗頭が自衛隊のヘリで最初に降り立ったのが陸前高田だった。鉄筋の建物の残骸がわずかに立つだけの壊滅した街の光景に、ただ言葉を失った。

 あれから9年余り。

 「これが人口増加時代だったら…」。安全性を追求し、劇的に変化したまちの歩みに思いをはせつつ、事業が長期化した復興の厳しさをかみしめた。

 復興庁によると、被災地では3月末までに、防災集団移転促進事業は324地区の全てで、土地区画整理事業は50地区のうち48地区で造成工事を終えた。災害公営住宅は計画の99%の2万9952戸が完成。海岸防潮堤は計画の72%の449カ所で工事が完了した。

 復興に当たり、国はさまざまな支援策を講じた。当初は地元負担をなくし、漁船の取得、店舗や工場再建のためのグループ化補助金など、私有財産への国費投入も決めた。

 復興期間は当初の10年を20年に延長し、2025年度までの国の総事業費は32兆9000億円を見込む。巨額の財源確保のため、所得税額を25年間、2.1%上乗せするなど「復興増税」に踏み切った。

 構想会議の提言が、政府の道しるべになった。

 「16年前の悲惨がかわいく思えるほどのすさまじい、何倍にも増して悲惨なこのたびの震災だ」「亡くなった多くの犠牲者のいわば弔い合戦として、これからの日本を再興しよう」

 11年4月14日、首相官邸4階の大会議室。五百旗頭は構想会議の初会合で自らも被災した1995年の阪神大震災と比較し、強い決意を語った。最後に議長として基本姿勢を鮮明にする。

 「単なる復旧ではなく、創造的復興を目指す」

 「全国民的な支援と負担が不可欠である」

 会議後の記者会見では、まだ議論もしていないのに個人的に「震災復興税」の検討にまで言及した。それは、政治家や財務官僚に耳打ちされたからではない。

 1995年の大震災の悔恨があった。

◎提言、希望の道しるべ

 1995年1月17日午前5時46分。神戸大教授だった五百旗頭真は兵庫県西宮市の自宅で突然、跳ね上げられて目を覚ました。猛烈な揺れに家がメリメリと悲鳴を上げる。「大地の魔神が引き裂こうとしている」。隣で寝ていた6歳の娘を必死で守る。家族は無事だったが、教え子を失った。

 自宅は傾き、妻子は広島県内の知人宅に身を寄せた。4月、ランドセルをあてがわれて幸せそうに近所の子どもたちと通学する娘の後ろ姿を見て、五百旗頭は涙した。「人々はこんなにも温かい。神戸はひとりぼっちではなかった」

 対照的に国は冷ややかだった。財政支援は震災前の状態に戻す原形復旧までが原則で、それ以上の復興事業は地元負担との考えを崩さなかった。

 衝撃的だったのが、かつて世界三大港と呼ばれた神戸港への対応だ。新興国が台頭する中、造り替えて競争力を取り戻すチャンスだったが、元の水深で再建した。「焼け太りは許さぬ」と言う国が情けなかった。

 兵庫県は、創造的復興を目指してシンクタンクや国際機関が集積する新都心などを整備したものの、多額の借金を抱えた。

 復興構想会議は2011年4月末の第3回会合で、兵庫県知事として阪神大震災の陣頭指揮を執った貝原俊民(故人)を招いた。

 「新しい制度創設や規制緩和など国にしかできないことがある」「全く新しい将来ビジョンを持ち、それに向かうのが本来の意味の創造的復興」「財源なき復興構想は寝言だ」。当事者が訴える教訓の一つ一つが、各委員に重く響いた。

 議論を重ねて提言のめどが立つと、五百旗頭は「阪神を超えた」とうなった。

 「破壊は前ぶれもなくやってきた。(中略)かくてこの国の『戦後』をずっと支えていた“何か”が、音をたてて崩れ落ちた」

 印象的な前文で始まる49ページの提言書は「減災」を意識したまちづくり、増税も含めた財源確保、特区による手続きの簡素化など新たな考え方を示した。

 「被災した産業を復活させてきたが、売り上げを増やせていない。新たな産業創出も見事にできていない」

 今年7月17日、三陸沿岸を巡っていた五百旗頭は、面会した気仙沼市長菅原茂(62)に嘆かれた。菅原の手元には「最大のポイントは産業の復興・新産業の導入」と太字で記した資料があった。震災直後、視察に訪れた五百旗頭ら委員に渡した資料だった。

 ちょうどこの日、政府の21年度以降の復興事業規模が決まった。東京電力福島第1原発事故で復興が遅れる福島県に支援を重点化する-。菅原の表情に焦りの色がにじんでいた。

 「国民の理解と協力で、かつてないほど津波から安全な町ができた。歴史的に見て最も手厚い復興支援が行われていることは評価されていい」

 五百旗頭はこう強調しつつ、自問する。「それぞれの市町村が自らの特色を打ち出すことが、どれだけできたのだろうか」

 創造的復興の真価は、まだ見えない。
(敬称略)

[復興構想会議]東日本大震災の発生1カ月後の2011年4月11日に設置を閣議決定。メンバーは2段構成で、親会議には岩手、宮城、福島各県知事に加え、脚本家の内館牧子氏、福島県立博物館長の赤坂憲雄氏、哲学者の梅原猛氏(故人)ら著名人を含む16人が名を連ねた。産業経済や都市計画の専門家ら19人の「検討部会」も設けた。親会議12回、検討部会8回の議論を経て6月25日、政府に「復興への提言~悲惨のなかの希望~」を提出。本論は「新しい地域のかたち」「くらしとしごとの再生」「原子力災害からの復興に向けて」「開かれた復興」の4章で構成する。