政府の東日本大震災復興構想会議が始まるころ、宮城県沿岸被災地には既に復興まちづくり計画の「たたき台」ができていた。

 手掛けたのは県だ。震災直後の2011年4月1日に1億円の関連予算を専決処分し、仙台市の都市計画専門の建設コンサルタント5社に協力を依頼。被害が大きい12市町の計画案を2週間で仕上げた。

 山元町はJR常磐線の線路を移設し、山下、坂元両地区をそれぞれ内陸に移して集約する。岩沼市は沿岸の6集落全てを玉浦地区に集約する-。「高台移転」「現地再建」「多重防御」の手法とともに、複数案が図面に落とし込まれた。

 地形や被害に応じた基本方針は、計画作りを指示した県土木部次長で現副知事遠藤信哉(64)が宿直中に一晩で描き上げた。都市計画が専門。災害対応に追われる現地を思い、居ても立ってもいられなかった。

 4月14日にあった構想会議の初会合で、県知事村井嘉浩(60)はいち早く独自の構想をぶち上げた。

 「職住を分けて(住まいを)高台に設ける。今までのように立派な防潮堤をつくらなくても、逃げられる場所さえちゃんとつくっておけば、いざというときに命は守れる」

 23日の第2回会合では、さらに踏み込む。

 「全くのおせっかい」と前置きしつつ、リアス海岸の南三陸町と仙台南部の平野部にある山元町の「たたき台」を披露。出席した首相の菅直人(73)に「市町村やJR、国土交通省と調整を始めた。総理の決断があればすぐに作業に取りかかれる」と迫った。

 高台移転、職住分離などのまちづくりを後に「宮城モデル」と銘打ち、議論を主導していく宮城県。中心となった遠藤は明かす。「構想会議は、知事を広告塔にいろいろな制度を勝ち取っていく格好の場だった」

 まちづくりの主体は市町村だ。「中二階」といわれる県が打ち出した唐突なプランに反応はさまざまだった。感謝されたり、門前払いされたりしたが、活用の判断は12市町に委ねた。

 「県民が住む地を失って絶望の淵にいる中、一刻の猶予も許されなかった。復旧も復興も一体的に進める必要があった」。遠藤は前面に出た意義を強調する。

 市町の意見を踏まえて改良した県の計画案は、最終的に岩沼市や亘理、山元両町の復興計画に反映された。女川、南三陸両町でも全体的な土地利用の考え方が踏襲された。

 一方、思惑通りにいかなかったこともあった。(敬称略)

◎岩手に焦り福島出遅れ

 宮城県が作成した市町の復興まちづくり計画案は、石巻市の半島部などリアス海岸に点在する小規模な集落の集約も打ち出した。

 「津波の犠牲になったり、被災して他地域に移ったりした人もいた。人口減や高齢化が進み、集落単体では機能維持が難しい」。計画作りを指示した土木部次長の遠藤信哉は、強い危機感を抱いていた。

 政府の復興構想会議の提言にも「集落の再編が課題となり得る」「漁港機能の集約・役割分担や漁業集落のあり方を一体的に検討すべきだ」と盛り込まれた。

 だが、集落の再編は市町の復興計画には十分反映されなかった。ある町では、ことごとく住民の猛反発を食らった。

 県は一方で、「浜のコミュニティーを守りたい」という地元の要請を受け、防災集団移転促進事業の戸数要件を10戸から5戸に緩和する特例を国に求めた。

 当初、県が59団地と見込んでいた防集事業は、最終的に195団地になった。「反発は想定していなかった。浜の意識が強い漁民の考えとのギャップが大き過ぎた」と遠藤は悔やむ。

 対照的に、岩手県は被災地のまちづくりの動きを静観した。医療行政をはじめ、岩手では日常的に県への依存度が高い。県が前に出ることで、市町村の自由な議論を妨げることを危惧していた。

 県が躍起になったのは、高規格道路の延長だ。

 「物流というより、安全、安心な地域づくりの中に位置付ける方がいい。震災時は(救援物資の運搬などで)命の道となった」

 知事の達増拓也(56)は5月21日にあった構想会議第6回会合で、三陸沿岸道と釜石自動車道、宮古盛岡横断道の全通を要請した。

 県内の三陸道は総延長223キロの4割しか事業化が決まっておらず、8割を超える宮城県に比べ大きく遅れていた。コスト面から国は延伸に慎重だった。

 「この際考え方を変えてもらわないと、全通は当分できない」。財務省出身で県副知事を務めた上野善晴(61)は、構想会議を千載一遇のチャンスと考えていた。

 高規格道路の整備に加え、県は被災事業者の二重債務の解消と、私有財産の漁船に公費を投入するため、漁協が漁業者に貸し出す仕組みも提案した。

 旧知の官僚に電話攻勢を掛けるなどして、岩手の3大要求の実現にこぎつけた上野は「岩手沿岸はもともと過疎地域で行政の中心は内陸。宮城より早く忘れられるのではという危機感があった。沿岸は零細企業が多く、緊急性は高かった」と振り返る。

 次々に具体策を打ち上げ、構想会議をリードする宮城、岩手両県。福島県は東京電力福島第1原発事故が収束せず、散り散りになった避難者や行政機能が戻る見通しすら立っていなかった。

 「復旧まで至っていない」「早く気持ちを切り替えたい…」。知事の佐藤雄平(72)は涙ながらに福島の厳しい状況を訴え、原子力災害に絞った協議の場の設置や特別法の制定を求めた。

 提言に至る構想会議計12回の会合のうち、佐藤本人が出席したのは5回にとどまった。(敬称略)