東日本大震災の巨大津波は災害に対する国の考え方を転換させたといわれる。

 「防潮堤を中心とする最前線のみで防御することは、もはやできない。大自然災害を完全に封ずることができるとの思想ではなく、災害時の被害を最小化する『減災』の考え方が重要」

 政府の復興構想会議が2011年6月25日に発表した提言に「減災」の理念が盛り込まれた。翌26日に政府の中央防災会議専門調査会も同様の中間提言をまとめた。

 発生頻度が高い津波は防潮堤などで防ぐ一方、震災級の津波は避難といったソフト対策も含めた「多重防御」で被害を抑え、命だけは守ろうという考え方だ。

 それは「完全防災」からの決別を意味した。

 「減災という言葉は私がつくった」。構想会議の委員で、防災が専門の関西大教授河田恵昭(よしあき)(74)が議論をリードした。高速道路が横倒しとなり「安全神話」が崩れた阪神大震災でハードの限界を痛感していた。

 多くの犠牲を出した震災を巡る議論が、会議で「防災」から「減災」に置き換えられることに、東北関係の委員は「言い訳的な意味合いがある」と戸惑いを見せた。だが「津波をかぶった元の所にできるだけ安全な町をつくる」という河田らの主張が受け入れられ、提言に多重防御の選択肢が記載された。

 土地のかさ上げ、避難路、ビル、内陸の道路を盛り土構造にして堤防機能を持たせた二線堤。これら減災手法を組み合わせて多重防御を考えてほしい-。

 復興メニューに盛り込まれた多重防御のまちづくりは、巨大津波を目の当たりにした被災者との間にズレを生む。

 昨年秋、被災地を巡っていた河田は宮古市田老地区の街並みに衝撃を受けた。

 「万里の長城」に例えられた田老防潮堤は津波で倒れ、震災前を上回る防潮堤の建設が進む。背後は一部をかさ上げし、多重防御の市街地を再生した。商店が集まる道の駅やコンビニはできたが、空き地が目立つ。

 対照的に、被災者の多くは近隣の山を造成した「三王団地」に移り住んだ。

 今年3月末に完了した岩手、宮城、福島3県の防災集団移転促進事業の宅地は321地区、災害公営住宅も含め1万2529戸分。造成面積は東京ディズニーランド16個分の840ヘクタールに上る。多重防御の減災よりも「究極の津波防災」と言われる高台移転を選ぶ地区が相次いだ。

 その規模は河田の想定をはるかに超えた。「津波が怖いから高台に住めばいいという発想に縛られ、生活基盤がある所に暮らす文化が評価されなかった」

 復興事業は特例法で地元負担がゼロになった。土地探しが難航する中、造成費を気にせず山林などに広い土地を確保できる高台移転が進んだ側面もある。

 河田はため息をつく。「安全をトップの目標にすると、他の価値観は戦えない」(敬称略)

◎「10年」の期限熟議妨げ

 太平洋岸433キロに延々と建設されている防潮堤も、多重防御のまちづくりとズレが生じていた。

 国は東日本大震災から間もない7月、防潮堤の復旧基準を被災自治体に通知した。「災害復旧ですぐに予算が付く防潮堤の基準を先に決め、まちづくりと調整する流れだった」と元国土交通省幹部が解説する。

 基準は数十年から百数十年に1度の「頻度の高い津波」に対応する高さ(L1)。景観や環境といった地域事情に配慮して高さを決めるよう要請していた。

 その年の秋、岩手県は「防潮堤は高さ15メートル程度が限界」と多重防御の対応を決める。釜石市根浜地区や大槌町赤浜地区は、住民が高台移転する代わりに「景観に配慮を」と震災時の高さによる原形復旧を要望し、県も認めている。

 宮城県は一度決めた高さに沿った整備を譲らず、一部地域で軋轢(あつれき)が生じた。

 実際に防潮堤の高さがL1から引き下げられたのは、わずかだ。国の今年1月末時点の集計によると、宮城県内で137カ所(全349カ所)あるが、そもそも津波が小さくなる内湾部や、背後に住宅がない離島などが大半を占める。

 一方、福島県内はゼロ(72カ所)、岩手県内は23カ所(134カ所)にとどまる。政府の復興構想会議の検討部会委員で、地域計画が専門の岩手大名誉教授広田純一(65)は、岩手県の防潮堤説明会に参加し、協議の難しさを感じた。

 住民の参加者は限られ、専門性を踏まえて発言できる人はわずか。県職員も合意形成の経験が乏しく、住民に意見がなければ計画通りに進んだ。賛否両論が噴出しても「タダでやってくれるなら高い方がいい」と議論が続かなかった。

 整備主体は防潮堤が主に県、まちづくりは市町村と縦割りだ。当初「5年」、後に「10年」に限られた政府の復興期間に事業を終えなければならなかったことも、熟議を妨げた。

 「行政も予算とスケジュールが決まっている。結果として、まちづくりと防潮堤は相互調整が不十分なまま縦割りで進んでしまった」と広田は振り返る。

 高台移転によって、巨大防潮堤の背後に守るべき人が住んでいない街は「過剰防御」にすら映る。検討部会長を務めた政策研究大学院大教授の飯尾潤(58)は減災の誤算をこう顧みる。

 「高台移転はニュータウンのように分かりやすいが、被災者や自治体は『減災の街』をイメージしにくかった」

 飯尾自身の反省点もある。阪神大震災で地域の結束が崩れた教訓を基に、東日本大震災の被災地に「コミュニティーの再建」というメッセージを送り続けたことだ。まとまりを大事にするあまり、開発型の高台移転が大勢を占めた。

 「コミュニティー再建は美しい言葉だが、津波や原発事故の被災地は元の所に戻りにくい。『新しいコミュニティーの創造』という発想で、個々の被災者を支援すべきだった」

 飯尾は、全国の研究者と東日本大震災の教訓を1冊の本にしようと準備する。

 「創造的復興」を描いた責任を「次」の備えにつなぐ、節目の10年が近づいている。(敬称略)